「人間は、心で生きている」
昔の偉人が遺した私の大好きな言葉です。
いえ、ごめんなさい。嘘です。私に仕事を教えてくれたおじさんが何気なく放った言葉です。
約八年前、とある職場に入ったばかりの私に彼はそう言いました。
その時は特に気にしていませんでした。なぜなんの脈絡もなくそんなことを言ったのかも。
その数ヶ月後、おじさんは定年退職。
別の職場の方が私に言いました。
「大変だっただろう。お疲れさん」
若く、未熟な私は気づいていませんでしたが、おじさんはいじめられていたようです。
気性が荒い人ではあるな、と思っていましたが、その性格は周りの人たちには受け入れられていなかったのです。(私にはとても優しいおじさんで、丁寧に仕事を教えてくれました)
職場の方が私に言った一言は、おじさんのイメージが悪すぎた為に、酷い指導が行われていたんだろう、苦労しただろう、という思い込みからのものでした。
ちょっと前置きが長くなってしまいました。
今回はそんな、心 のお話。
おじさんの言った一言は、どんな思いが込められていたのか。当時の考えも含めてまったりと噛み砕いてみたいと思います。
人は、心で生きている。
そもそも 心 とはなんなのか。
ネットで調べてみました。
よくわかりません(笑)
私なりの解釈だと、人そのものです。
その人がその人である証拠、といいますか。
容姿はもちろんそうなんですが。歩き方や話し方、笑い方なんかの行動も含めて、その人がその人であると認識する要素なんじゃないかなと思います。
言葉の受け取り方一つとっても。
例えば何か怒られた時に、反撃する人、黙って怒られる人、泣いてしまう人。
言われたことに対しての怒り、悲しみなどの感情がその人の行動となります。心が、行動を決めるのです。
心=行動
おじさんが言いたかったのは、それだったのかなぁと思います。
いじめ という行動から、人の心の醜さを伝えたかったのかなと。
実際に心理学の世界では、行動をもとに心理の動きの証拠にすることが多いです。
例えば、
いきなり叩かれる→
叩かれた人は声を荒げて怒りをあらわにする
という場合、
声を荒げる という行動から、怒っているという心理を読み取ります。
そして、人はいきなり叩かれると怒る
という結論に達します。ちょっと乱暴ですが、そんな学問なんです。
だから、先ほどの
心 = 行動
という論拠は成り立つのです。
何でもかんでも心が行動にあらわれるわけでは無いです。そういう場合は多い、ということだけ認識していただければと思います。
あの人の考えが分からない。
何を考えてるか分からない。
自分のことをどう思っているのか。
そんな悩みのある人は、相手の行動をみてみましょう。言葉の内容も、思いの三割しか伝えないといわれます。行動、目線、言葉の抑揚、体の動き。そういうものに目を向けると新たな視点が見えるかもしれません。
最後にもう一度。
人は心で生きている。
心は行動に繋がっている。
何か、感じてもらえたら幸いです。
なにがし。