病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

我慢は毒。

私は我慢をしない。

これだけ聞くと、その人がとても自分勝手な人間である感じがします。
我慢について。書いてみようかと思います。


我慢って何?

辛いことを耐えて忍ぶこと。だそうです。
多くの日本人にとっては馴染みの深い感覚かなぁと思います。
私も小さい頃から親によく我慢しなさいと、言われてきた様な気がします。 我慢したことを褒められ、我慢出来ることがすごいと教えられてきました。 我慢は美徳。我慢出来る人は素晴らしい。
全否定はしません。ですが、人生にとって本当に我慢することが大事なのでしょうか。


我慢は心を縛る

これは私の場合ですが。
親に言われたことがあります。
自分で決めなさいとか、やりたいことは何か、とか。
答えることができませんでした。何も思い浮かばなかったのです。言われたことだけやって。親には逆らわずに生きてきました。およそ中学生の頃でしょうか。 今思えば私は、間違った我慢の美徳に囚われていたのかもしれません。


子どもにとっての我慢

親にとって、子どものわがままは時にとても迷惑なものなのでしょう。お金がかかることなら尚更です。
年齢を重ねた今なら分かりもします。しかし今思えば、子どもの頃の私は何が迷惑なのかわからなかったと思います。
あれが欲しい、これをしたい。そう主張しても我慢しなさいと言われる。なぜ我慢しなければならないのか、その理由が分からないままにです。
自分の意思を示す必要がある場面(例えば、将来の夢をいう時など)と、そうでない場面(ただのわがまま)の境界がわかりませんでした。


結果としてどうなったか

自分の意思の主張の仕方やタイミングがわからなくなりました。 自分の気持ちを言う=わがままという図式が心の中に宿ったまま成長しました。
今でも、何を考えているか分からない人と言われます。

これはもちろん私の生まれ持った特性も相まってこうなったのだと思います。単純に、親の育て方が悪いと断ずる気もありません。 人生の役半分はは自分の意思で道を選び、友人を選び、成長してきたつもりですし。
大事なのは、大人になったここからです。


必要な我慢

我慢をすることも、時には必要です。
仕事中や授業中に、お腹がすいたからといって弁当を食べるのはちょっといただけませんね。 早弁は流行りましたが。
電車の中で、筋トレがしたくなったからといって腕立てや腹筋をするのもどうかと思います。

これらは、必要な我慢です。社会のある程度のルールの中で生きている私たちが守るべきものです。


不要な我慢

不要な我慢って何でしょう? それは私たちそれぞれが、自分で縛っているものです。

仕事や学校を休んではいけない。
休みの日に遠出ができない。遊べない。
お金はあるけど贅沢だから欲しいものが買えない。
転職できない。

これらは一例ですが、全部やっていいんです。
状況は様々あるかもしれませんが、基本的にはいいんです。 我慢しなくていいものなんです。
他でもない自分が出来ない、やってはいけないと思い込んでいるだけです。


不要な我慢はしなくていい

これらを我慢するとどうなるか。
当たり前にこれが出来る人を羨ましいと思うようになります。
私はこんなに頑張っているのに。
私はこんなに我慢しているのに。

やってはいけないことをしているわけではないのに、こんなことを思われては大変です。

だから、我慢はしなくていいんです。
やりたいことは極力やりましょう。
自分のためにも。周りの人のためにも。
大事なのは、まず知ることです。 不要な我慢。必要な我慢も。


終わりに

いかがだったでしょうか。
私自身も、まだまだ不要な我慢をしてしまうことがあります。その度に、誰かを羨んだりしています。
そうじゃないんですよね。自分の心が、自分を縛り付けているだけなんです。少しずつでも、自分のやりたいことをやって。その分人に優しくできれば、いいんじゃないでしょうか。
何か感じていただけたら、幸いです。

なにがし。