病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

七夕。願い事とサルを壊す実験の話。

昨日は、たくさんの願い事が夜空に向かう日。七夕でした。

1人でも多く、願い事が叶ったらいいなぁと思います。
その分、きっとその人は人に優しくなれる。

優しくしてもらった人はまた、誰かに優しさをもたらす。そうやって、ほんの少しかもしれないけど人の世の運命に影響を及ぼすあたり、七夕というイベントは素敵だなぁと感じます。 ほんの少しですけどね。

大人になったら大して願い事をする気は無くなってしまいます。しかし子どもの頃の経験は、ほんの些細なことでも人生に大きな影響を及ぼしたりします。それだけでも、大きな価値はあると思います。


大人になると変わるもの

一応メンタル関係の知識を添えてみたいと思います。

スキナー箱という道具を用いて行われる、生物の行動を検証する実験があります。
サルを完全に破壊する実験をご存知でしょうか。

ボタンを押すと餌が出てくる箱(スキナー箱)とサルを用意します。
ボタンを押す=餌が出る という状況をサルに認識させます。
次にボタンの設定を変えます。いくつかのパターンによって、サルの行動が変わります。

①ボタンを押したら毎回餌が出る設定
サルは空腹になったらボタンを押します。

②ボタンを押したらたまに餌が出る設定
サルはボタンを延々と押し続けます。

③ボタンを押しても餌が出ない設定
サルはボタンを押さなくなります。

ざっくり言うとこんな感じです。

②がいわゆる、サルが壊れたと言われる状態です。
ギャンブル依存症の原因と言われます。

③は、この七夕のお願いと大人の関係となぞらえると。
私の言いたいことが見えてくるかなぁと思います。
まぁ、単純に気恥ずかしいという部分もあるかも知れませんけれど。


おわりに

大人になるにつれて。
本能的にあぁこれをやっても無駄だな、とか。
こんなことやる意味が無い、とか。

そんな考え方が増えてきたような気がします。
物事のはじっこを捉えただけで、その全てを理解したような気持ちになってしまいます。

子どもの頃持っていた純粋さは失われ。
短冊に願い事を書くことの無意味さを覚え。
物事を達観したように、歳を重ねる。

それが悪いことだとは思いません。
大人の味わいとして、その人の色となるので。

ただ、自分はどうありたいのか。
それは認識しておくべきだなとは思います。

右にならえで、どこの誰が垂れ流したかもわからない情報を信じて。自分の意思も持たずに達観したような人には、私はなりたく無い、そう思います。

なにがし。