病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

死にかけた時に考える。雑記。

そんな物騒な話でもないんですけど。昨日。 高速道路を走っていて、タイヤがバーストしまして。

路肩が広かったんで、サッと入ってレッカーしてもらって事無きは得たものの。

まぁまぁの恐怖でした(笑)

たまたま付近に車がいなかったこと。
たまたま路肩が広かったこと。

そのたまたまが無ければ、今頃どうなっていたか分かりません。車から降りるにも、割と交通量が多く、戸惑いました。すぐにNEXCOの人が来てくれましたが。

路肩といえど、高速道路では安全地帯ではありません。

いま死んだら、やり残したことはあれとあれと...なーんて軽く現実逃避したり。 NEXCOの人が後ろに居てくれても。道路の外に出ても。 見ず知らずの相手に命を握られている感覚。相手の命も握っている感覚です。


ちなみに、十数年前に私は一度死にかけています。
交通事故でした。 走馬灯なんてものを見る暇もなく。
生きていたのが不思議なレベルでした。

その時もし、死んでいたなら。
私のそれまでの一生はなんにも無くなって。
一時のプチブームになったかもしれませんが、
十数年経った今では、朧げな記憶のままに「あんな奴もいたなぁ」なんて同窓会で言われるのでしょう。

それから私が出会うはずだった大切な大切な人達は。
私のことを知らずに、今を生きるのでしょう。

さして悲しい話でもないんですが、
自分がいてこそ知ることのできる世の中で。
自分がいないという現実はとても空しいです。

知りようがないんですけどね。シュレディンガーの猫のように。

タイヤがバーストしたくらいで価値観は変わらないんですが、こういう経験も無駄には出来ません。財布も痛みましたし。

こうやって。少しでも。
自分が生きている事実を再認識することは大事かなぁと思います。
何より、こういう時こそ自分自身の声が聴けます。本心が伝わってきます。
大切なのは、その声を聴いて明日からどう生きるか。どうしていくのか。それを考えることだと思います。

あと高速道路を走る際は、三角板をすぐに取り出せるところに置いておきましょう。発煙筒の使用期限のチェックも忘れずに。怠ると命取りになりかねません。
そんなところで今日は。

なにがし。