ストレスに悩まされていると、
世の中の見え方が変わってしまうなぁと感じます。
なんでもないことに腹が立ったり、
幸せそうな他人を羨んだり、
自分の情けなさを嘆いたり。
全ての物事は、
自分というフィルターを通して身体の中に入ってきます。
だから、人によって受け取り方が違ったり、
気分や体調によって受け取り方が変わるんですね。
今日は、ストレスとの付き合い方について。
考えてみようと思います。
なにがし流ストレスの捉え方
これは、心理学やカウンセリング、メンタルヘルスの様々な本を読んで私が感じた個人的な考え方です。
ストレスは、常に心に在る。
そして。
ストレスは、心の栄養となる。
ということです。
一つずつ、書いていきます。
ストレスは常に心に在る
ストレスは、心に存在し続けます。
その理由は二つ。
- 他人との差
- 慣れと変化
他人との差
人は、生きていくうえで必ず他人と接します。
そして、他人と自分の間には必ず考え方や感性の違いが存在します。
自分の意見と食い違うということは、当然ストレスになります。
他人と差があることを理解していても、自分の中の核となる考え方を否定するような言動にはやっぱり腹が立つのが人間です。
これをゼロに近づけるのは困難です。
傾聴、無条件の肯定的配慮というカウンセラーの命題とも言える考え方や態度があります。
それを何十年と実践して、現場で叩き上げてやっと初めて辿り着ける境地。
プロカウンセラーでも一生をかけてそこに到達出来るかどうか、と私の師匠が言っていました。
日々、人の悩みに寄り添い、考え、それで何十年。
つまり私も含め、ストレスを減らすことは出来てもゼロにするというのは、ほぼ不可能と考えられます。
慣れと変化
人は、慣れます。
例えば、好きで好きでしょうがない憧れの人とお付き合いの末、結婚したとして。
一年、二年、五年、十年、三十年。
お付き合いの時と変わらない思いで、好きでいることが出来る人はあまり多くはないと思います。
悲しいことに、人は幸せにも慣れるんです。
とんでもない幸せ、非現実のような出来事だとしても。
それが毎日続けば、当たり前となります。
自己啓発の習慣なら褒められたものですが、
こういう面から見ると、慣れというのは残酷なものです。
幸せな日常はいつしか当たり前の日常になり。
当たり前の日常は、退屈を呼び。
退屈は、ストレスになります。
じゃあ変化すれば良いと思いますが、これもまた曲者。
新しい出来事は新鮮さとともに新たなストレスを呼び込む入り口にもなります。
つまりこれも。 ストレスが常に心に存在するという考え方の柱になります。大なり小なり、ストレスは常に心につきまとうんです。
ただ、ストレスを悪と捉えることはありません。
ストレスは心の栄養となる
賛否両論あるかと思いますが、
私はストレスは心の栄養となると思っています。
考え方ひとつではありますが。
例えば、仕事で失敗することで抱えるストレス。
それは成長に不可欠だと思います。
挑戦するストレス。
高い壁に挑むことも、迷いや葛藤をはらんでいるためストレスになります。
これもまた、人間としての成長に大きな影響を及ぼします。
ストレスで傷付き悩み抜いた心を持った人間は、他人の痛みも分かるようになると思います。
新たな事業を始めようと、借金を抱えてみたり。
人生の一か八かの大勝負に出たり。
ストレスによるそれらを経験しなかった人より、
ストレスを抱えた心は確実に成長していることが多いはずです。
これが、ストレスが心の栄養であるという考え方の根拠です。
ストレスフリーの落とし穴
逆を考えてみましょう。 これは私の経験則です。
私は過去に少しですが。
ほぼストレスフリーな時期を経験しました。
何もかも満たされていました。
当たり前に仕事をしました。
当たり前に生活しました。
大好きなお酒を飲み、友人と遊び。
確かに、文句なしで幸せでした。
その経験自体は紛れもなく今の私の宝物です。
でも、今振り返ると。
実は心は貧しかったように感じるんです。
楽しさの中で、本来やらなければいけないことから目を背けていました。
いわば、テスト前日に遊びほうけるような。
学業を疎かにし、遊びまくる大学生のような。
ストレスと向き合う事を避け、ストレスからの栄養を受け取ることを放棄した結果です。
ストレスフリーな考え方、ストレスを寄せ付けない考え方自体は、否定しません。
それによってのみ得られる経験もまた、あるのは事実。
でも、それだけでは。
物足りないのではないかなと思います。
ストレスは結局、敵か味方か
メンタルヘルスが、陽の目を浴び始めた昨今。
様々な本や、考え方が世にあふれています。
こんな考え方をしたら、心が楽になる。ストレスフリー!なんて、私にはもったいなく感じるんです。
だって、ストレスは心の栄養だから。
ストレスを感じなくなるということは、栄養源を失うということだと思っているからです。
いや、考え方感じ方は人それぞれ。 ストレスフリーならいいじゃないか!と感じるならそれでも良いと思います。 それによって得られるものもまた良いものがたくさんありますし、その生活の中できちんと自分を見据えていければ文句なしです。
ストレスを避けて生きるならば、自分を見据えること。
ストレスと共に生きるならば、決してくじけずストレスを糧にすること。
それらが出来るならば、どちらでも良いと思います。
おわりに
ただ、私は。 個人的に、ストレスと共に歩んでいく未来の方がいいと思っています。
現実問題として、大多数の人がストレスと共に生きていくことを強いられている背景もありますし。
泣き言を言いながら。
世の中が真っ黒に見えたり。
無意味と知りながら斜に構えてみたり。
地べたを這うように生きてみたり。
人前でガチ泣きしてみたり。
一人孤独に苦しんでみたり。
上等じゃないですか。
自分を成長させてくれる栄養がたくさんある。
スーパーマリオならノコノコが大量に湧いているようなものです。1UP取り放題です。
ひとつだけ絶対に言えるのは。
苦しんで苦しんで、そこから這い上がった人にだけ見える世界があるということ。
それはどんなにお金を払っても手に入れることが出来ない、その人たちだけの大きな財産です。
それだけでも、ストレスと向き合う価値があるのかなぁと思います。
ここまでお付き合いいただき、感謝です。
あまり長いと疲れてしまうと思いますので、この辺で。
なにかの参考になっていただければ幸いです。
ストレスに関しての過去記事も置いておきます。
こっちは軽め、柔らかめの記事です。
ストレスを今流行りのタピオカミルクティーにしてみました。
なにがし。