病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

人間五十年、下天のうちをくらぶれば。

みなさんご存知。 織田信長が好んだ、敦盛の一節ですね。
ちなみに、よくドラマなんかでは燃える本能寺の中で最後に言うイメージですが、
辞世の句ではないそうです。
ただ好きだっただけのようですね。

人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢幻の如くなり

人の世の五十年は
下天という神界においては一昼夜にあたり
夢幻のようなものだ、という意味だそうです。

私は勘違いしていましたが、 この頃の平均寿命が五十歳という意味ではないそうです。

信長は四十九歳で亡くなったそうですが、
そのほぼ五十年と、好んでいた敦盛の一節が噛み合わさって、
辞世の句のように扱われているらしいです。

ちなみに、調べたところ江戸時代の平均寿命は三十歳前後だそうです。
これは幼児の死亡率が高かったことに起因するようですが。
戦で若い人が亡くなることも関係しているかも知れません。


仮に人の寿命が五十年。
現代に、自分の環境に当てはめてみるとすごいですよね。

まず大体の人が二十代で親を亡くします。
大学卒業の時点で人生の半分を終えます。
四十歳で課長に昇進しても残り十年です。
三十歳で子どもが出来たら、我が子の成長を見られるのも、成人式までです。

うーん、短いですね。

本当に、短い。
そんな感じがします。率直に。
自分自身、すでに三十年生きたからなのでしょうか。


今回の話は、ふと。
近所の人が、これぐらいの年齢で自ら死を選んだことを思い出したからです。

特に顔見知りというわけではありませんでしたが、
五十年という時間は、人生の長さとしてどういう風に捉えればいいかを
考えたくなって、こんなことを書いています。


何であれ、自死は悲しい。

人生悩み事は、尽きないけれど。
恐ろしいぐらいに悩んだことも、
次の日にスッキリ無くなってしまうこともまた、あるもので。

そして、いますぐに人生から逃げ出しても、
100歳まで苦しみ抜いて生きたとしても。
結果は同じでしかないのに。

と、私は思います。
他人の選んだ道を否定はできないけれど。

もし、身近な人がそうなったら。
悔やむんだろうなぁと思います。 なんにせよ。
できることをただ精一杯やろう。

今日は、そんなことを思う日でした。

なにがし。