病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

人生の美しさと、下卑た部分を語る。

どれだけつらくても、苦しくても。

突破口は、必ずあるとは限らないけれど。

多分、いくつかの突破口には自分自身でフタをしている。

選べない、選ばない理由があるのも分かる。

でも。
自分自身を捨てるような真似をしてまで、
それを選ばないことって、どうなのかな、と私は思う。

自死は当然除くとして。

もちろん、道を貫き通すとか、
本当に限界の限界のギリギリまで行って。
そこで初めて見えるものもあるし。

人生における正解なんて分からないのだから、
私がここに書いている戯言なんて大した意味もないけれど。

少なくとも、私は。

人生で、自分を一番大切に思うことは悪いことではない
そう、思う。

でも、だからと言って。
まぁ様々理由はあるけれど、
例えば自分が一番大切だからと言って引きこもるのが正解かと言われると
それはまぁケースバイケースで擁護する場合としない場合がある。

ただ引きこもりに対して、世間からの厳しい声が上がるのは当たり前だとは思う。
一括りにするものではないけれど。

世間の声は残念ながら規制はできないし、社会の中で生きるならばこれは避けては通れない。

当人の意思とは関係なく。


誰かの為に生きるということは、素敵だ。美しい。

でもその中に、こういうケースがある。

(自分を殺してでも) 誰かの為に生きるということは、素敵だ。美しい。

これだ。
私はこれについて色々思うところがある。

はたから見れば、同じく素敵に見えるかもしれない。

でもこれが、自分の大切な友人だったら。自分の子どもだったら。
どうだろうか?

当然、それでもいいと思う人もいれば、それは嫌だなと思う人もいるだろう。

いくら親しい友人や親族だとしても。
心の中までは分からない。

自分の気持ちを押し殺してまで他人の為に生きることは。

私は、素敵だとはどうしても思えないんだ。
納得しているなら、いいかもしれない。
でも、納得しているかどうかなんて、はたから見ても分からない。

だから、

そもそも他人の為に生きることに対して私は、そこまで綺麗に見えない。

単一の、限られた視点から見ただけの綺麗事。

これが例えば、愛する我が子が病気で寝たきりになった。
それを世話する親の視点ならば、まぁ納得はできる。

なんて色々と、条件によって受け取る違いはあるけれど。

一度しかない人生。 だからこそ、他人の為に、自分の人生を投げ出すことは美しいとされる。

でも、その裏側には。
もっと沢山の、捨て去った人たちがいる。

納得できずに。

そこは、混同してはいけないと、私は思う。
そこには、人生そのものの面白さと、人の下卑た部分が入り混じっているから。

そんなことを、今日は思いました。

なにがし。