「叱る側も苦しいんだよ」
会社の上司や部下を、親が子を叱った時に出る言葉です。
私は、個人的にこの言葉があまり好きではありません。
なぜならこの言葉を実際に言った人のほとんどは、
ただ感情をぶつけることを叱っていることと勘違いしていたから。
そして自制できない自分への苛立ちや、感情的になったバツの悪さをごまかそうと、
この言葉を言い訳に使うのです。
本当に苦しんだ上で、行動を選択した結果この言葉を放つ人はほんの一部です。
そういう人は自らを律することができるので、
ほとんどこの言葉を使いません。
こちらの記事でも触れていますが、
本当に嫌なら、声を荒げなければ良いと私は思います。
目的は他人に怒りをぶつける事ではなく指摘による行動の改善のはず。
ならば結果としてそこに繋がれば方法はなんでもいいんです。
それを模索することもなくただ怒りに任せて感情をぶつけたら、
それはそれは苦しいはずです。
嫌なら行動を変えればいい。
コーチングスキル、有名な指導者の書籍など情報はたくさんあります。
それもせずに、ただ相手に自分の苦しみを伝えても心には響きません。
誰だって失敗はするし、したくてやるわけではないのに。
食堂で嫌いな食べ物をわざわざ注文する人はそうそういませんよね。
嫌いなものしかメニューにないのなら、別の店を探すか克服するしかないんです。
叱る、という行為を否定する気はありません。
それも立派な指導方法です。
しかし、この叱る側も苦しいという言葉に関しては。
使い方をよく考えるべきじゃないかなぁと私は思います。
なにがし。