誰かと暮らすことの難しさを今日は考えてみました。
難しさの根底にあるのは、やっぱり価値観。
生活の中に何を求めるのか。
その違いが心の行き違い、イライラを生む。
お金があっても、苦しい人。
お金がなくても、幸せな人。
一人の時間が寂しい人。
家族との時間が鬱陶しい人。
自分を見て欲しい人。
家族を大事にしたい人。
我慢する人。
奔放な人。
それまで生きてきた中で。
誰が何を欲するのかそれは自由です。
しかし、だからこそしがらみも同時に存在します。
そのしがらみを生む存在が同居人というケースは多い。
やりたいように、生きたいように生きることは人生でとても大事なことだと私は思います。
しかしそれだけをどうしても追求できないしがらみは、突然降りかかってくる。
「そんなの馬鹿らしい」
「あなたの人生なのだからやりたいようにやればいい」
そんな考えはよく聞くし、時として何より大切。
でもそれだけを追い求めるのが絶対正義とは私は思わない。
個人では覆すことが困難な不条理は確実に存在する。
何かを捨て、何かを得る。
そういう中で懸命に生きることしか人間には出来ない。
やりたいようにやるならば、何かを捨てるというリスクは当然つきまとうんだ。
人と共に生きていくこと、どんな人と生きていくかは人生に多大な影響を与えることは言うまでもない。
プラスにも、マイナスにも。
個人的な考えだけれど。
今の生活がつらいなら、逃げたっていいと思う。
逆につらいからこそ、耐えることもいいと思う。
その経験は、プラスになるかマイナスになるかは誰にもわからないのだから。
ただ一つ言えるのは。
いつだって不条理は降りかかる。
少なくとも私は、その不条理に立ち向かうことで強くなりたいと思う。
自分に降りかかった不条理は裏をかえせば。
世界中の誰とも違う、自分だけにあてがわれた試練だ。
そういうものを乗り越えて、時には逃げて、いろんなものを感じて。
その結果、他の誰でもない「自分」という存在が出来上がるという側面が生きる上ではあると思う。
人と暮らすということは。
良い面もあれば、悪い面もある。
一人では経験できないことも経験できるし、
一人で暮らすことよりも、よっぽどつらいこともある。
つまるところ人は、なかなか一人では生きていけない。
誰かしらと、関わることになる。
そういう時に、誰かと暮らすことで感じた経験は無駄にならない。
そう、私は思います。
それだけでなく。
生きていれば必ず。
いつかどこかで何かと、誰かと戦うことになる。
逃げているだけでは、結局勝てない。
そして勝てなければいつまでも苦しいんだ。
だから。どうしたらいいか。
考える機会を作ってみると、いいのかなと思います。