病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

自己中のジレンマを語る。

「自己中のジレンマ」
あまり聞きなれない言葉だと思います。

私がさっき思いついたんで当然ですね。

今日は、自己中心的な思考が持つ、ジレンマについて。
さらっと書いていきたいと思います。

ジレンマとは

まず、ジレンマについて。
これは、相反する二つのものに板挟みになって、どちらも選びにくいこと。

よくある、恋人と親のどちらを助けるか、みたいな話のことだ。
行くも地獄、戻るも地獄。

実はあまり知られていないけれど
自己中についても、そんな側面がある。

自己中とは

自己中心的思考。

自分が世界の中心のように物事を行う人の思考を指します。
誰もが、知っていますね。
私は、そんなに悪いことでは無いと思います。
振り回してなんぼ。振り回されてなんぼ。

そういう方向に考えていかないと、つらい思いをすることはかなり多い。

それこそが、自己中。

自己中のジレンマとは

例えば。
AさんとBさんが居たとします。

Aさんが自己中心的な行動を取ったとBさんが感じたとしましょう。
BさんはAさんに言います。

B「あなたは自己中ですね」

この時。
自分の行動に対して、自己中ですねと言われたAさん側の視点に立ってみると。

自分の行動に対してBさんこそが自己中心的な見方をした、と捉えることができます。
Aさんにしてみたら、Bさんの行動こそが自己中。
そうなってしまいます。

なので結局お互いが自己中心的な行動をしたという結論に至ってしまうのです。

これが自己中のジレンマです。

自己中のジレンマを題材にした理由

この話は、私が昔聞いた話を元にしています。
正直な所私はあまりこの話が好きではありません。極端なので。

でも、この話にはそこそこ大事な観点も見え隠れします。

もちろん誰がどのように行動するかによって、
様々な見方ができ、一概に言える単純な話ではないのですが。

これは基本的に否定できない考え方なんです。

良かれと思ってしたことも。
他人の受け取り方によっては正解、不正解に分かれる。
人間の行動、付き合い、コミュニケーションも全て。

人間が行う行動において、自己中心的でない行動はない。
というような極端な結論になる。

常識という言葉すらも、時には自己中です。
考え方が多様化し、誰もが自分の考えを堂々と発信できるようになった現代。
何を正解とするかは、個人の自由だと私は思います。

先ほどの例に挙げたような。
Bさんのように、他人に対してこの人は自己中だなと思うことは
よくあると思うんです。
でもその考え方もまた自己中だとしたら、何が正解なのでしょうか。

これをどう捉えるかは読んでくださった方に委ねたい。
そんな面白みのあるテーマかなと思い、書かせていただきました。

おわりに

私は。
基本的には人は自己中心的であるべきだと思っています。
もちろん程度はあるけれど。人間、自己中で然るべき。

誰かの為に生きるなんて美談でしかなく。
それが自分の幸せと結びつくとは限らない。

聞けばもっともそうな言葉も。
一般常識とかいう人を黙らせる常套句も。
相手の思考を捻じ伏せる為の凶器みたいなものだと思っている。

言い過ぎかもしれないけれど。

アメリカの銃社会に対しての考え方はあまり好きでは無いけれど
強い力にはそれに対抗する術がないと立ち向かえないということは事実だと思う。

自分の人生をかなぐり捨てることができる人は尊敬するけれど、
それをしないこともまた、自然由来の生物のあるべき姿でもあるのかな、なんて。

なにがし。