病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

能ある鷹は爪を出せ、という考え方。

私が初めて務めた会社で、最初に教わったこと。

「能ある鷹は爪を出せ」

すごく大事な考え方だと思うので、ちょっとご紹介。
現代という時代にもマッチしているんじゃないかなと思います。

日本人の美徳

能ある鷹は爪を隠す。

能力のある人間はそれをひけらかさない、誇示しない。

実に日本人らしい言葉だ。

出る杭は打たれる文化である日本において、自分の持つ能力をひけらかすことはマイナスな要素に繋がりやすい。

だから隠す。奥ゆかしく。

そして本当に必要な時にだけ、獲物に深く爪を立てる。 最小限に、スマートに。

そんなイメージ。
それ自体は確かに良いと思います。
何事もやり過ぎは禁物なので。

しかし。

時にそんな日本人の美徳を凝縮したような言葉を体現したとしても、仇になる場合もある。

古き良き時代の終わり

テレビやネットで。
古き良き〇〇という言葉が使われたりする。

ネットの普及が加速して、考え方も含めて
あらゆるものがアメリカナイズされてきた。

私が、能ある鷹は爪を出せという言葉を信奉するようになったのもこの影響があると言える。

表現出来ない=無能というレッテルを貼られやすくなったと感じる。

そこまで昔のことは分からないけれど、
昔ならば物静かとか寡黙という表現が今より世の中にあったと思う。
対して現代は表現下手な人には根暗とかキモいとかほぼほぼネガティブな言葉がメインだ。

古き良き役者であった高倉健のように。
物静かで寡黙なんて雰囲気も含めた役者は今ほとんどいない。

フリートークが出来て、自分をしゃあしゃあと表現する役者が人気なのも時代なのかなと思う。

だから。

能ある鷹は爪を出せ。

そんなことが今、求められているのではないだろうか。

自分を表現して。インプットして、アウトプットして。
私はこんなことが出来る!と。
人の目に触れ、表舞台に立ち。

そんな人が求められている。

ネットという大きな情報網が子どもも大人も横並びにした結果だ。
そこから抜け出せ。這い出せ。

それが出来た人が。
色んなものを手にできる時代。

だからこそ、
能ある鷹は爪を出さなきゃならない。

他人は自分を見ている

他人は。

思ったより自分を見ている。
そして、思ったよりも見ていないもので。

見て欲しい部分に関しては思ったより見ていなくて。
見て欲しくない部分はよく見ていたりする。

総じて仕事における評価はブレる。

いつ誰に何を見られているか分からない状態。

だからこそ。

見て欲しい部分を効果的にアピールする必要がある。
仕事ならば特に。

他人からの評価を他人に任せるな

で。

何もせずとも自動的に他人が自分の良いところを見てくれるなんて、期待するだけ損だ。

もちろん世の中にはそういう人もいて、
何か失敗をしてしまった時に、いつも頑張っているよねなんて言ってくれる人も稀にはいる。

でも、そんな他人からの評価を受け身だけでやってのけるには今の時代は厳しい。

面接の自己PRの時間のように。

自分は何が得意なのか?
どんなことができるのか?

それをガンガン人に見せていく。

できることをアピールすると、当然ながらそこに人は注目する。
そして尖った長所は、短所を覆い隠す。
心理的にもそんな利点がある。

だから。
ドンドン出していこう。

どんなものを心の奥底に秘めていようと、
他人は気づかない。つまり無価値。

そんな風に思う。

おわりに

京都人の奥ゆかしさをネタにしてしまう時代だ。

古き良き〇〇。
私は個人的に嫌いではなくむしろ好きな方。

カウンセリングの技法も様々あるけれど、
物事をオブラートに包んで伝えたりしても。

やっぱり届かない場合もある。

相手を気遣えば回りくどいと言われる。

ストレートに伝えれば冷静な対話が出来ない。
かと思えばストレートな方がすんなり伝わる場合もしばしば。

考え方の多様性を否定する事も出来ないし、色々難しい。

正直。

黙して語らず。
背中で語る。
無言実行。

それだってすごく格好いいと個人的には思う。
高倉健だって大好きだ。

けれど。

世間一般とやらはそれを求めていない。

少なくとも仕事に関しては。
能ある鷹は爪を出さなきゃいけない時代じゃないかなぁと思います。

待ってても幸せはやってこない。

強く。
強く生きよう。

何か感じて頂けたら、幸いです。

なにがし。