病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

価値観の違いと考え方を語る。

価値観。

世の中は人の価値観で出来ている。

と、私は思っています。

今日はそんな価値観について考えてみました。

地球の支配者は人間と価値観

地球上において、人間という生き物は圧倒的な知能を持っています。

つまり、人間が地球の支配者と言っても過言ではありません。

その人間が社会を構築している。
たくさんの人間の価値観を寄せ集めて、
時に共有して、時に争って。
社会が出来ているわけです。

形のあるものも無いものも含めて、
人間の価値観の集合がそのまま価値になります。

まずはそこを押さえる必要があります。

物の価値と価値観

例えば。

一般的なりんごは日本で1個100円ほどで手に入ります。

どうして、100円なのでしょうか。

そもそも、100円の価値ってどうやって決まるんでしょうか。

そこから考えていきたいと思います。

お金の価値

国の信用とかなんとか、難しいことはさておき。

お金の価値を噛み砕いていきます。
日本人にとって、お金の価値ってどの程度なんでしょうか。

時給800円。

人が1時間労働をして得られるのが800円。

日本人の1時間の労働の対価として、ざっくり見積もって800円くらいが妥当ということですね。

1時間働いたら800円。
誰が決めたかは分かりませんが、それがそのままおおよその価値となります。

税金を無視すれば100万円というお金は、
時給800円で1日8時間働いて約157日分です。
こう書くとそんなものかと思ってしまいますが、

実際はそこに税金やら生活費やら仕事の大変さやら休日やら何やらで、100万円を貯蓄すると考えるともっともっと時間がかかります。つまり価値が高まります。

お金の価値は、その国の人たちの価値観を分かりやすくまとめた数字のようなものですね。

物の価値

物の価値はそのまま、数学で言う所の単位換算と考えると分かりやすいかと思います。

1kg = 1000g

のように。

1時間の労働 = りんご8個

イメージはこんな感じだと思います。

更に。

1時間の労働 = りんご8個 = 800円

となるので、

りんご1個 = 100円
7.5分の労働 = 100円
7.5分の労働 = りんご1個

という価値も見えてきます。

この価値は。
繰り返しますが、要するにみんなの総意です。

みんなで決めた結果、りんご1個は7.5分の労働と同じぐらいの価値だということです。

りんごの作り手も買い手もみんなが納得しているから、このりんごの値段は100円なんです。
金額はあくまでも価値を分かりやすく数値化するものでしか無いと私は思います。

形のないものの価値観

例えば。

離婚した原因として良く言われる価値観の違い。
逆を言えばもともとお互いの価値感が合ったから結婚に至ったわけです。

人間の認識には、必ず価値感が付いて回ります。
価値観というフィルター無しにはものを見ることは出来ません。

道端の石ころに何も思わないのは、
「これには価値がない」という価値観を通して見るからです。

ただの知人も恋愛感情という価値感が付加されれば、
その瞬間から憧れの人、好きな人になります。

いつも見ていた風景も、ノスタルジーという価値感が付加されれば心の原風景となります。

形のない、期待というものにも価値はありますね。
先物取引やスポーツ観戦、競馬なども期待に価値が付加された結果成り立っています。

誰かにとっては無価値でも、
誰かにとっては何にも代え難い価値になる。

これもまた価値感ですね。

価値と価値観を比較してみる

りんごを例に挙げてきましたが、
身の回りのものの価値ってどうでしょうか。

ものの値段はだいたい決まっていますが、

自分の価値観と照らし合わせて、
妥当なのかそうでないのかを考えてみると面白いのかなと思います。

りんごが好きな人にとっては、500円のりんごだって安く感じるかもしれません。
りんごが嫌いな人にとっては100円でも高いと感じると思います。

同じ1500円を払って映画鑑賞するにしても、
好きな有名人が出ていればそれに見合う価値だと感じるでしょう。
逆に興味のないジャンルの映画なら1500円は高いと感じるかもしれません。

みんなで決めた物の値段は、
必ずしも自分の価値観に沿うものではないんです。

だからこそ。
世の中には色んな商売があって、生産活動が営まれていて、売って、買って。
そういう輪が回っているのだと思います。

基本的に値段の高い安いでそれを買うかどうか考えた上で判断はしていると思うのですが、
値段だけでなく労働時間の対価としてはどうだろうか?

もしくは、当たり前のようにある身の回りの出来事について、

自分の価値観に見合った価値なのか?

そういう所を考えてみると、何か違って見えることもあるのではないかなぁと思います。

ただ漫然と、
これがこうだから。
いつもやってるから。
当たり前だから。

そうやってものを見て生活するよりも楽しいような気がします。

自分の価値観をちゃんと考える。

何でもかんでもそう上手くはいかないかもしれませんが、とっても大事なことじゃないかなと思います。

おわりに

いかがだったでしょうか。

人によっては、そんなの当たり前でしょと思うかもしれません。

しかしながら意外と。
自分の価値観を見失ってしまうことはあります。

それを我慢したまま生活すると、
自分の心と行動や選択のズレが生じて、
ストレスが溜まります。

そのストレスから、ズレに気付くことが困難になりまた心と違う行動を重ねるという悪循環に陥る場合が多くあります。

全ては行動の先に答えがあります。
自分の価値観こそ、生きる上でとても大事なものなんです。

願わくば。
この記事がなにかのきっかけになって頂けたら幸いです。

なにがし。