病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

要るもの、要らないものを語る。

例えば。

機種変更して使わなくなった、携帯電話やスマホ。

住む人のいなくなった、実家。

同じものなのに、愛着はあるもののはずなのに。

何年か経つと、ひどく昔の物のような感じがします。

不思議なもので。

要らなくなったものをそう認識させる機能が脳にあるのかなぁと思います。


慣れもそうです。

一切合切の、初めての感覚を全て切り捨てます。

慣れたら最後。

それまで肌で感じていた不慣れという感覚が消え。

新しく慣れた感覚に支配されます。

こういうもの。

学習能力とでもいうのでしょうか。


人間の感覚は多くが不可逆です。戻りません。

一度自転車に乗れるようになった人が、乗り方を忘れるかといったらほとんど忘れません。

事故や加齢による運動能力の極端な衰えが無い限りは。

熱いものに触れたら火傷をする、そういう感覚もまず忘れません。

野球やサッカーの経験者も。

体で覚えた効率的なボールの投げ方や蹴り方を忘れません。

マッスルメモリーなんて言われ方もしますが。

多少忘れたとしてもすぐに思い出します。

言い方を変えると、そういうものは忘れることができません。

一度知ってしまったら最後です。それを知らなかった自分には戻れないのです。

この、慣れた感覚は。

時に無情な結果にもなります。

知ることは大事ですが、知ってしまうということもまたあるので。

そういうことも理解しておくといいのかなぁと思います。

「知らなきゃ良かった」

生きていればそういうものにきっと出会います。

そして。

不要になったと自分では思いたくなくても。

自分の意思とは関係なく脳が捨て去ろうとするものもあります。

悲しいかもしれませんが、きっとそれが生きる上で必要だから脳はこんな機能を持ったのかもしれません。

綺麗事を言えばそれがドラマとなり人生を彩る一つのピースになるのでしょう。

断捨離とはよく言ったもので。

捨てるものを捨てることのできる生き方は無駄がなく、美しいものだと私は思います。

憧れます、なんて。

なにがし。