病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

テセウスの船の話を考える。

心って、どこにあるんでしょうか?

そんなものはなくて、ただ脳の記憶に基づいた行動原理だと言う人がいたり、

実は心はひとまとまりで何処かにあって、身体と繋がっていて云々と言う人がいたり。

本当のところはきっと誰にもわかりません。

心という曖昧なものを題材にした作品を見ると、いつも考え込んでしまいます。

自分って、何者なんだろうと。

いつも結論は出ないんですけどね。

そんなことより、目の前の生活がいっぱいいっぱいなので。

現実逃避みたいなものかなぁと自分で思ったりしています。

せっかくなので。

今これを書きながらもう一回考えてみたところ。

昔何かの本で読んだ話を思い出しました。


今ドラマの表題になっているテセウスの船、そしてスワンプマンのパラドックスなど。

小耳に挟んだことのある人もいらっしゃるかと思います。 同一性を考える思考実験やパラドックスのお話です。

ちょっと紹介してみます。

テセウスの船

テセウスの船は、航海中に修理を繰り返して、元々の船の素材が別の素材に全て置き換わってしまった。

それらは元の船と同じ船だと言えるのか?といったお話です。

よく老舗のお店で、何十年も継ぎ足しのタレを使っていますって言いますよね。

あれは実際、何十年前の成分がタレの中に残っているわけではなく、割と早い段階で継ぎ足したタレに置き換わります。

それと似ています。

中身がまるっと置き換わったのならば、それって秘伝のタレなの?みたいな話です。

スワンプマン

ある日、ある男が沼のほとりで雷に打たれて亡くなった。

雷が沼にも落ちて、偶然亡くなった男と全く同じ存在の泥でできた人間になった。
(細かいことは無視しましょう)

記憶も全て亡くなった男そのものになったので、そのまま男は家に帰りいつものように生活を送った。

果たして男は泥から生まれたものの同一の存在と言えるのか?みたいな話です。

どちらにも、何の答えもありません。

テセウスの船は船なので心云々ではありませんが、

スワンプマンの話は人の話なので心の有無も含まれるのかなぁなんて思います。

難しいですけれど。

もし自分が自分のまま、別のものに置き換わったら。

それは何をもって自分と証明するのか?

興味がありましたら深く考えてみてはいかがでしょうか。


心とか、魂とか、精神だとか。

宗教も含めれば様々な考え方がこの世にはあると思います。

自分自身って、何を持ってそう言えるのか?

ちょっと哲学的な話も混じりますが。

なんかそう言うこともたまに考えてみると。

悩みの中にいながらも別のものが見えてきたりします。

馬鹿らしい話かもしれませんが。

たまにはそう言う思考に耽ってみるのも面白いかもしれません。

なにがし。