これは、日本独特の文化だと私は感じたことがあった。
それは昔。
とある外国に行った時のことだ。
大きなデパートか何かで、イベントをやっていて。
司会者らしき人がステージの上から観客に、何か質問をしていて。
その国の人は、我先にと手を挙げて答えようとしていた。
「大勢の見知らぬ人たちに囲まれていても、手を挙げて発言できるということが当たり前なんだ」
そう思った。
ブーイングなんかもそうだ。
堂々と、しかし普通に、相手にNOを突きつける。
恥じらいを感じる前の子どもならまだしも。
いい歳の大人が人前で堂々と振る舞うのは根性がいる、多くの日本人ならばきっとそう感じる。
しかし、国によってはそういう考えの方が逆に変だと思われてしまう。
思ったことを言わないのは何故なの?と言わんばかりに。
雨降って地固まる、という言葉は日本に古くから存在するけれど、
それが日常的に反映されているのは諸外国で、日本はどちらかと言えばそうではない部類の国だとすら感じる。
出る杭は打たれる。
右にならえの整列した思想を昔から重んじてきた日本ならではの感性。
しかしながら、その日本を動かしてきたのは言わずもがな出た杭だとも思う。
諸説はあるようだけれど、坂本龍馬然り、織田信長然り。
現代の荒波に立ち向かう、企業の社長の皆さんも然り。
名を上げ、他を蹴落として出る杭となり、見上げられる存在となった。
だから。
そういう世界に行きたければ、きっと心を鬼にするしかない。
横並びのその他大勢ならば、それなりの生活で納得するしかない。
それが嫌なら限りあるイスを勝ち取るしかない。
生き方は人それぞれだけれど、目の前で今まさに出んとする杭が打たれている様を見てそんなことを思った。
人は、安心したいんだ。
同じ立ち位置にいる誰かがそこにいることで。
そして遠い存在になるかもしれないことに不安を覚えてしまうのだ。
自分が置き去りにされるかもしれないということに怯えるんだ。
その場から動く、チャレンジするということは大変なことだから、みんなで寄り添っていたいんだ。
その気持ちは理解するけれど。
チャレンジしたいという覚悟は応援する世の中であってほしいなぁと。
個人的には思います。
なんて。
なにがし。