基本的に、変化を怖がる。
今いるところは少なくとも安全だと分かっているから。
だから新しいことに挑戦するのは勇気がいる。
安全圏から、飛び出すことだから。
変わらないことは楽だし、心地のよいものだ。
でもその心地よさが実は、脳が作り出したまやかしだと私は思う。
生きている上で、本当の安全圏なんてそんなに無いのだから。
大手の会社に勤めても、倒産しないことはない。
大手だからこそ、部署によってはパワハラなどの苦しい状況に追い込まれることもある。
そして簡単に辞めるという選択肢も取りづらくなる。
役所勤めが安定だとしても、つらい仕事もきっとある。
大金持ちになっても、一度の失敗で全てを失うこともある。
健康に気を遣っても、病気になるときはなる。
フリーターだからと言って、気楽に仕事ができるわけでもない。
家族ができたからと言って、全員が幸せに生きることは確約されない。
極端な考え方かもしれないけれど、全てこれらは起こりうる。
全身全霊をもって努力しても報われない人は報われない。
逆に、気ままに生きているつもりでも誰もが羨む幸運の星の下の道を歩くこともできたりする。
未来のことは結局、起こるまでは分からない。
だから。
自分が立っているところは、別に安全圏でもなんでもないと私は思う。
たまたま、偶然にも。
今いるその位置がその時、大丈夫だっただけだ。
でも、脳はそれを知らせない。
冒険すること、チャレンジすることを是としない脳が、そうさせたいが為のまやかし。
もちろん、時と場合によってはその場に留まることが結果的に良かったと思えることもある。
それもまた、偶然だ。
結果的には良かった。それだけだと私は思う。
だから私は、やって見てから考える。
後から「あ、これは失敗した」と感じることはもちろんあるけれど。
その気持ちは押し殺して、とりあえずやって、見て、その後でもう一回考えてみる。
するとどうだろうか。
踏み出したその足元は、意外としっかりしていることに気付く。
振り返って見てみると、さっきまでいた場所の方が崩れていたりもする。
これはなんぞやと脳に問いかけると、今いる場所の方がいいだろう?とドヤ顔をしている。
さっきまでは失敗だなんだと騒いでいたのに。
我ながらふざけた話だなと感じるけれど、蓋を開けてみればこういうことは結構ある。
そしてこの経験は、絶対に無駄にはできないなと感じる。
自分の行動を、思考をまとめているはずの脳が。
実はかなり自分勝手な存在だと気付く。気付かされる。
もちろん失敗することもあるけれど、
それは直感的にやってはいけないと感じた時の失敗と、
単純に挑戦をしたゆえの失敗とではまるで意味が違う。
前者は経験、後者は単なる運だ。
それを一緒くたにして、挑戦したことそのものを悪かったと捉えてしまうと。
きっと人としての成長具合は変わってくる。
私もまだまだ未熟で残念な人間だというのは自覚しているけれど、
失敗に対しての考え方は出来るだけブレないようにしたいと考えている。
何事も、触ってみて、やってみて、自分の目で見て。
その結果得られたものを真摯に、真っ直ぐに受け止める、ということはとても大事なんじゃないかなと思います。
失敗したって良いじゃない。
学生時代に大失敗したって、卒業したら関わらなくなる。
会社で大失敗したって、10年も勤めれば笑い話になる。
そんなどうでも良いことよりも。
たった一度の体験や、
見たこと、触れたことはいつまでも、自分と共に居てくれる。
なんて。
なにがし。