ある程度の年齢になると。
自分の行動に対しての責任は大きくなってきます。
自分で選び、責任を負う。
だから生きる上で、間違えることも増えるし、つらい思いもせざるを得なくなります。
道しるべなんてありません。
仮にあったとしても、結局のところその先に何かあっても選んだ自分のせいです。
自分の行動や言動に責任を持たなければならないという思考を早め早めに磨いておくと良いのかなと思います。
私は、最近思います。
今まで生きてきて。
たくさんの人たちに支えてもらって何とかやってきて。
もちろん今も、その事に対しての感謝は持っているつもりです。
それ自体はいいものの。
いざ一人の人間としての在り方を、考えます。ふと孤独を感じます。
自分は何者で、何を持っていて。何が出来て。どこに立っていて。
何のために生きて。
他の誰がどうとか関係なく。
自分の行動や仕事、生き方において自分の選択と責任がとても大きくなっている事に気付きます。
多分、誰でも感じる時が来るのではないかなと思います。
仲の良い友人も。
大切な同僚も。
尊敬する先輩も。
家族も、パートナーも。
自分を支えてくれる存在がいつもそばにいるとは限らない。
いつしか、立ち位置が狭くなって。
まっさらな自分の、個としての実力が求められる時が来る。
そういう時に。
丸裸になった自分の手に持っているものは、何か。
そういうものが見えてきます。
様々な経験、知識。
資格や趣味、人間性。
伸ばしてきた能力。
まっさらな自分が、その手に持っているもの。
それだけで現実と戦うしかないんです。
だから。
学んでおくしかない。
武器を磨きましょう。
何でもいいから。
そういう状況になってからでもいいと思います。
本当に必要な、自分だけの武器を。
可能ならば早いうちから磨いておければ最高だと思います。
いざという時、最後の最後、今際の際まで。
少なくとも自分だけは、自分と共に在ります。
それ以外は、いつ何時、自分のそばから居なくなっても仕方がないんです。
誰も恨むことはできません。
悔やんでも失ったものは返ってはこない。
そう私は思います。
人と生きることは、尊い。
誰かと共に、助け合っていくことも尊いです。
だからこそ。
自分という存在もまた、強くそこに無ければいけないと思います。
誰かがいるから、助けてくれるからという状況は、自分そのものを見失う要因にもなり得る。
厳しく言えば、人に甘えてばかりではいけないということですね。
失って初めてその大切さに気づいて、その時に初めて人は自分を知ると思います。
それまでは難しいかもしれませんが。
心を強く。自分をしっかり持って。
人と共に在る時でも、そう感じて行ければ少しは楽になるのかなと思います。
なんて。
なにがし。