病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

リスクマネジメントは難しい。

生きる上で選択は付き物なのですが。

選択の上で必要なリスクマネジメントというのがあると思います。

リスクマネジメントは、様々な場面でよく使われる言葉で、聞いたことがある人も多いのでは無いでしょうか。

いわゆる危機管理。

今日はそんなものについて考えていきたいと思います。

リスクマネジメントとは

リスクマネジメントとは、危機管理のことです。

例えば。

今勤めている会社の経営が怪しい。

だから今のうちから資格の勉強をして転職に備える、とか。

意味は色々ありますが、ざっくりとはこんな感じですね。

〇〇した時の為に、事前に□□をしておく、みたいな。

直面するかもしれない危機に備えておく。

あとは。

今までやっていた業界に転職するか、人手の足りていない業種に転職するか。

みたいなところもそうですかね。

今まで勤めていた業界ならば、即戦力としてまた活躍できるかもしれない。

けれど、ここで人手の足りていない業種に変更すればその後の仕事も安泰です。

ローリスクローリターンを取るか、ハイリスクハイリターンを取るか。

こんな選択もリスクマネジメントの一部かなぁと思います。

リスクをどう捉え、どういう行動をするか。

危機を回避するのか、立ち向かうのか、逃げるのか。その為に今できることは何か。

今回は仕事を例にしましたが。

日常生活の中にもこういうことは大なり小なり多々あって。

今回はそんなことを考えていきます。

リスクマネジメントは難しい

これです。

難しいなぁと感じます。

誰も未来のことは分かりません。

なのに、未来に起こるかもしれない危機に対して行動するということは。

人によっては無駄と捉えられてしまうからです。

いわゆる、正直者は馬鹿を見るという考えもここに含まれます。

例えば。これは私も経験があるんですが。

コンビニでお釣りを間違えて多く渡されてしまった場合とかですね。

金額がいくらであれ、間違いは間違いです。

正直に言えばお金を返して終わりです。

自分はそれによって、危機を回避したつもりでも。

人によっては店側が間違えたのだからもらえばよかったのにと馬鹿にされることもあります。

人によって、捉え方は違う。

こういう側面があるんですね。

今はどうか分かりませんが、中学生や小学生の頃。

真面目に勉強していると周りからバカにされたり、仲間外れにされた人はいませんか?

これもそうです。

本来、勉強をすること自体は褒められるべきことだと私は思います。

未来のための行動の一つです。

しかしながら、周りからは、理解されないこともあるんです。

僻み妬み嫉み、もしかしたら純粋に一緒に遊びたかっただけかもしれません。

理由は様々あれど。

自分の為の行動と、社会やコミュニティにおける協調性の為の行動は一致しない。

だから一般的な生活におけるリスクマネジメントは難しいと感じるのかな、と思います。

協調性とリスクマネジメントの融和

最近では。

会社の飲み会の誘いは断れという風潮があったりします。

これもまさしく、今回の話に関わります。

飲み会の時間は無駄だからその時間を自分の為に使おう、という感じですかね。

私はコミュニケーションが進むのと、単純に好きなので飲み会はできるだけ参加しますが。

こういうことはまぁ仕方ないなと思います。

どうしても一緒に飲みたい人はコミュニケーションを深めてサシで飲みます。

しかしながら中には。

飲み会に参加しないことを面白く思わない人もまだまだいるのは事実です。

協調の為の時間も、自分の為の時間も同じ時間です。

何事も、行動すれば時間を消費します。

両方を取れるのならそれに越したことはありませんが、そうもいかないのが難しいところです。

解決策はあるのか

私は。

この解決策はコミュニケーションにあるのかなぁと思います。

結局、人が人をどう思うかの話で。

ならば普段のコミュニケーションを頑張るしかないと思っています。

もちろん、社会的な風潮として。

個人の領域を侵すべきではないという風潮はできつつあります。

残業時間を給料をもらわずありがたく働かせて頂く、みたいな会社は即ブラック認定。

一度勤めた会社で定年まで働くのが美徳という考えもだいぶ薄れてきました。

〇〇ハラスメントなんて言葉も浸透して、写真や動画を社会に晒すこともできる。

個人の力や権利の行使が大きく、容易になってきた時代です。

だから、リスクマネジメントを考えた個人としての行動はしやすくなったのは間違いありません。

しかし。

小さなやりとりのレベルではまだまだ弊害は多いです。

喰うか、喰われるかのレベルも変わってきたと思います。

格差が激しくなったというべきでしょうか。

個人が、何のために何をするのか。

それが強く求められる時代でありながら、そうではない昔ながらの考え方も根強い。

変わりゆく時代の境目なのかもしれません。

おわりに

こういう時代で生きていくのは、ぶっちゃけしんどいです。

でも。

私は、変わりゆく方向へ考え方をシフトしていきたいと個人的には思います。

昔ながらの考え方も否定はしません。

しかし、いつの世も。

温故知新を持って時代は変わってきたはずです。

どちらも大事。

だからこそ、ここで今、知って、そして感じるべきことがあるはずです。

そんなことを感じました。

なにがし。