私が子どもの頃。
そんな言葉をよく耳にしました。
誰が言ったか、CMだったか、調べても分かりませんでしたが。
皆さんも一回ぐらいは聞いたことがあるかと思います。
私は。
この言葉にちょっと違和感を感じています。
今日はそんな、お話です。
人の痛みを理解するということ
人の痛みがわかるということは、とても難しいですが。
それが出来るならば出来た方がいいです。もちろん。
痛みがわかれば、きっとコミュニケーションもうまくいきます。
人に信頼されることも増えるでしょう。
それをうまく扱えれば、言い方は悪いですが他人を意のままに操ることも出来るでしょう。
いいことづくしです。
ましてやこの言葉は、主に子どもに向けて使います。
暴力を振るうことや、乱暴な言葉を使うなど。
それが相手をどういう気持ちにさせるのかの判別がつかない子どもに諭すように使うことが多いと思います。
その目的自体は、別にいいと思います。
国語力がつくと感じる違和感
人の痛みがわかる子に。
私も、何となくですがそんな言葉を胸に刻んで生きてきました。
人の痛みを理解しよう。
こう言ったら悲しむかな。
ああ言ったら泣いてしまうかな。
ある程度の年齢までそんなことをよく考えていました。
そして感じた、違和感の正体。
それは。
人の痛みを思いやるあまり、自分の心の痛みを我慢していたこと。
どう言ったら他人を傷つけないのか。
どう言ったら喧嘩にならなくて済むのか。
相手のことを考えては、自分の本当に言いたいことには蓋をして。
そう。
人の痛みがわかる子に、という言葉には。
自己犠牲の意味合いが隠れているんです。
私は、それを強く感じ過ぎてしまったのかもしれません。
言葉の切り取り方
言葉には、切り取り方があります。
よくニュースで政治家が長い話の中で言った一言だけを切り取られてテレビに流され、
この人はこういう考えなんだと思われるように。
どこでどう切り取って、どの角度から見るかでイメージが全然違います。
この言葉も、私の切り取り方も、主張も。
一つの側面から見た考え方でしかないといえばそれまでです。
もちろん。
他の子に意味もなく暴力を振るうようでは、こういう力のある言葉も効果的かもしれません。
なのでこれはあくまでも、私個人の主張です。
個人的に思う、こうだったなら良かった
あらゆるものを学び吸収する子どもの頃に触れる言葉には。
出来るだけ細心の注意が必要じゃないかと思うんです。
現代では情報も多様化したのでそうでもなくなってきましたが。
少なくともこの、人の痛みがわかる子にという言葉には
自己犠牲の切り取り方もあって。
言いたいことが言えなかったという子も少なからずいたのではないかなと思います。
もしこれが。
人の痛みも、わかる子に。
だったならば。
もう少し違った受け取り方もあったかなぁなんて思います。
おわりに
小さなことかもしれません。
誰も気にも止めないことなのかもしれません。
ただ。
私のように、物事の受け止め方がへたっぴな人間には。
意外とこういう言葉のちょっとした部分が棘のように刺さったりします。
難しいんですけど。
大人になったら、こういうものかと理解できたりするんですけど。
なんかこう。
こういうことも伝えてみたいなと思った今日でした。
なにがし。