最近、新型コロナの影響で。
色んなものが中止になったりしています。
中には、一生に一度の舞台もなくなってしまっています。
会社が倒産しても、もちろんつらいですが。
例えば学生たちの行事やなんかは、その年だけのものが多く。
はっきり言って、取り戻すことのできない、大変な経験になります。
今日はちょっと。
今時の十代の子とお話しをする機会があったので。
その時に思ったことを少々書いていきたいと思います。
子どもは、強い
色々な我慢を強いるこんな事態に陥って。
私のような部外者がしたり顔で。
「人生生きていればこんなこともある」
「この経験を無駄にしないように云々」
と胸を張って言ったところで。
安っぽい言葉であることには変わりはないし、
こう言うことははっきり言って伝わらないと思っています。
私の友人の中には、悲しんでいる子どもとどう接していいか分からないなんて方もいます。
今は、ただ寄り添う。それだけでいいのかなと思います。
今の子どもたちは。
私たちの年代に比べて、考え方がはっきりとしていると私は思います。
ネットの世界を介して、たくさんの大人の考えに触れて育ってきている為か。
経験の浅さはどうしようもありませんが、考え方自体はドライで、割と真っ直ぐで。
だから。
大人が言うまでもなく。
こう言うことに対しての理解は、早い子が多いのではないかなと思います。
そもそも学習能力の高い時期でもありますし。
落ち込んだら気合いでなんとかする、みたいなスポ根思考よりも。
今おかれている状況で何が自分にできるか、なんてことを冷静に考えていたりします。
もちろんケアが可能ならばそれに越したことはないですし、
落ち込んでいる子も当然いると思います。
そこはもちろん個人差がありますので、一概にこれはこう、と言うものではありません。
世の中を知る機会に触れてきた子どもたち
東日本大震災。
そして今回の新型コロナ。
物事において、自分だけではどうしようも無い。
人間の力の限界、自然の脅威、太刀打ちできない大きな流れ。
近代史においても、未曾有の事態を目の当たりにしてきた今の子どもたち。
慣れる、とまではいかないけれど。 少なくとも人生は。
某海外映画のように、ハッピーエンドばかりのものではない。
そんな風に認識している子も多いのかもしれません。
困難に立ち向かうバイタリティよりも、どこか達観した目線。
力より技。
私が話を聞いた子は、そんな印象を受けました。
下手な大人よりも。
ネットにおける情報網を上手に活用できる分、
冷静で、ある意味したたかな面を持ち合わせているのかもしれませんね。
そんな子どもたちと接する親
今回の話のキモは、ここらへんになります。
ここまで。
最近の子どもの考えってこんな感じなのかなぁと言う話をしてきました。
で。
そんな子どもと接する大人たちは、どうするべきか、と言うところです。
大人の武器は、ぶっちゃけ経験しかありません。
30代ぐらいまでなら、スマホやネットにも明るい年代ですが、それ以上は情報という点では完全に不利です。
ネットを上手に使えているならばまだしも、そうでなければ。
舐められます。本当に。
Twitterやyoutubeには、何から何までのあらゆるプロが、その考えを披露しています。
彼らはそれを目にして育っています。
正解か不正解かはどうでも良く。
説得力でそのプロ達と競わなくてはなりません。
黙っていても、一家の大黒柱と持て囃された時代はすでに終わっています。
まさしく今のこの。
ネットに答えのない状況でどんな振る舞いをするのか。
これこそが子どもたちのそばにいる大人が示さなければならない、経験の見せ所だと私は思います。
色々な形はありますが。
少なくとも、親の庇護下にあるうちは。
親が子を守るのは当たり前で。
その気概を一つ、見せなくてはならない機会なのではないかなと思います。
おわりに
何となく。
こう。
もちろん、個人差はあります。
全ての子も親も、様々な考えのもとで生きているのは承知の上です。
親を尊敬している子ももちろんいます。
しかし、ネットの向こうの大人と比較して、うちの親は…と感じる子も少なくない。
これは親子関係だけではありません。
会社や夫婦など、コミュニティ全般において言えることだと思います。
情報は、あふれているので。
その中で誰しもが、ある関係性における理想像みたいなものを持っています。
親なら親の。
パートナーならパートナーの。
上司や先輩なら、上司や先輩の。
悪い手本も良い手本も。
今までの、ぼやっとしたものではなく。
明確なものとして。
隣の芝生は青い、なんて言葉がしっくりきます。
だからこそ。
最大限にできることをやらなければ、伝わりません。
そう、私は思います。
生きるって、大変です。
なんて。
なにがし。