痛みの話。
生きる上での、痛みの話です。
痛みを知らずに育つということ
私は。
痛みを知らずに育ったんだなぁと感じます。
三十代に入り、この歳になって気付きました。
親は厳しかった。それなりに。
友達と喧嘩もした。それなりに。
上司にも怒られた。それなりに。
しかし。
身の回りの、大体の人は優しかった。
だから。
苦しい経験も、何となく乗り越えられました。
そう思います。
苦労も悩みもそれなりに抱えてきたはずです。
でも。
分かり合える友人がいて、先輩がいて。
そんな人たちに支えられて。
私は助けられながら育ちました。
だから。
痛いものを痛いと、感じなかったのかもしれません。
痛いけど、周りの人たちが癒してくれたから。
深手にならなかったのかもしれません。
痛みを知ったその後は
私はある時。
そんな環境を全て捨てて、一人になるという決断をしました。
理由はここには書けませんが、そういう決断を自分自身の判断のもとで行いました。
結果。
私は、丸裸になりました。
それまで支えてくれていた後ろ盾を失い。
気の合う友人たちを捨て。
面倒を見てくれた先輩を捨て。
ほぼ一人になりました。
すると見えてきたのは、厳しい社会という現実です。
自己表現しなければ、食い物にされる弱肉強食の世界。
気を抜けば傷付けられる。
よそ見をすれば噛みつかれる。
自分の力で物事を動かさなければ、何にもならない世界。
私は。
この環境下で、初めて痛みを知りました。
痛みを知って、失うもの
本当の痛みを知らなかった私は。
世の中の大人がどうしてそんなにガツガツしているのか想像もつきませんでした。
なぜ、思い通りにならないからと言って、怒りをあらわにするのか、理解できませんでした。
人にされて嫌なことはしてはいけないはずなのに。
堂々と怒りをぶつけ、叩きのめし、罵倒する。
みんな、仲良くすればいいだけなのに。
そう思っていました。
しかし、痛みを知った今の私は。
その気持ちが分かってしまいます。
弱肉強食。
弱いものはどうしても、食い物にされるのです。
だから。
虚勢でも何でもいいから。
人は、人の上に立ちたいのだ。
自分が優位でいたいのだ。
今はそう思います。
たくさんの、痛みを味わって。
私はきっと、強くなった。
いや。
痛みに鈍感になってしまった。
自分の痛みにも、他人の痛みにも。
だから。
私は、今の自分が嫌いなのです。
お酒を飲んで。
にこにこして。
なんとかなるでしょう、が口癖だった頃。
痛みを知る前の私は、もうどこにもいません。
立ち向かうしかないんです。
痛みを知ったからには。
知った上での自分になるしかない。
生きていると。
たくさんの苦労をします。
苦しみを経験すると思います。
崖っぷちまで追い込まれて。
リバーブローで悶絶している所にデ◯プシーロールをくらう浪速の虎のように。
痛みにはきっと、限界はありません。
しかし、それを味わったからと言って。
その痛みは自分だけのものであるということは、忘れてはいけないと私は思います。
もちろん、食うか食われるかがはっきり言ってスタンダードなので、
だからどうしろという話ではありません。
あくまでも私はそう考えたい、というだけの話で。
ただ。
私は思うのです。
痛みを知ってしまうということは、人を変えるんだなぁと。
そう、思ってしまうのです。
ただただ自戒の、そんな話になってしまいますが。
守るべきものの為に何者かに爪を立てるのと、
自分の為にいたずらに危害を加える爪は、絶対に違う。
本当の痛みというものに触れ始めて、そんなことを思いました。
周りの人を傷付ける為に、ただいたずらに振り回すのは違う。
人の強さの本質は、爪の鋭さでは絶対に無い。
きっと。
本当の痛みがわかるからこそ見える世界があって。
さらにその先に、もっともっと違う世界がある。
私はまだまだ、未熟者です。
きっとまだまだ味わったことのない痛みを、この先知るんだろうとも思います。
なんて。
そんなことを思いました。
すいません。
なにがし。