尊敬とか、憧れとか。
そういう感情って素敵だなぁと思うんです。
今日はそんな、人間関係を上手に構築するひとつの手段である尊敬についてです。
正直。
人の悪いところなんて挙げようと思えばいくらでも挙げることは出来ます。
悪いところを指摘するということも大事と言えば大事なのですが。
それとは少し違うアプローチとして。
適度な距離感も含めた人間関係をもたらす尊敬は良いものだと私は思います。
尊敬は尊いもの
尊敬。
英語だとリスペクトですね。
いわずもがな。
尊敬というものは素晴らしいと私は思います。
アドラー心理学の考え方の中には。
人間の全ての行動には相手役がいる。
というものがあります。
この相手役は、自分自身も含めたもので。
ある行動によって、影響を受け、感情が動き、応答するものといった存在です。
自分が行った行動によって他人がこうなる場合も。
自分自身が何かを感じるのも、一緒。
そういう考え方の中で。
尊敬というものは、非常に大きな意味を持つわけです。
尊敬を抱かれるのは、悪い気はしません。
尊敬を抱くというのも、成長には欠かせないものです。
多くの場合、誰も傷つかない、傷つけない。
だから。
私は、尊敬というものを素晴らしいものだと感じるのだと思います。
尊敬は持とうと思えば持てる
誰にだって尊敬を抱けるわけじゃない。
そういう考え方もあると思います。
私は出来るだけそうは思わないようにしています。
こちらの記事でも書いていますが。
大前提として、人の行動は見る角度でどうとでもなると思います。
え?と思った行動だとしても。
その理由を聞けば納得できることがあったり、別の角度から見ればなるほど、と思ったり。
次の日に聞けば腑に落ちたり、体調次第で我慢出来たり。
そもそもそんなものです。
だから、人の行動から。
尊敬というものをひねりだすのは意識次第だと思います。
ちょっと無理矢理かもしれませんが、意識次第です。
人間尊重、その心意気さえあれば。
きっといつでも、どんな時でも、誰にでも。
尊敬を抱くことは出来ると私は思います。
尊敬の向こう側
尊敬の向こう側には何があるのでしょうか。
自分が相手を尊重し、尊敬するという行動は。
相手にもいつか伝わります。
伝わった相手は、今度はその行動や思いに触れることで自分に対しての感情が変わります。
尊敬という素晴らしいものが相互に作用し、より良い関係性の構築に繋がるということです。
もちろん。
全てが全て上手くいくわけでもありませんが。
最初から敵対心丸出しだったり。
上手く付き合えないからといって邪険にしたり。
相手に対しての何の理解も示さないよりも。
ずっと良い。
よほど良い。
そういうものだと私は思います。
おわりに
他人の考えを変えるのは、難しいもので。
私は。
それぐらいなら自分を変える方を選びます。
だからと言って自分に嘘をついてまで変えようとは思いませんが、
それなりのスタンスをもって、無理をせずに出来ることは少なからずあると思っています。
行動における大正解はありませんし、私の考えやアドラー心理学もたった一つの、小さな小さな解でしかありません。
結局はやってみて、何かを感じて、そこから自分なりの答えを探していくしかないと思います。
何かの参考になっていただければ、幸いです。
なにがし。