「数字以外に、絶対なんてものは無いのだから」
昔、そんなことを言われたことがありました。
人の世のだいたいは、確かにそんな感じだなぁと思うのです。
人の何倍も地道に努力しても超えられない壁があったり。
考えに考え抜いた結論も、時が経てば間違いでしかなかったり。
ヤマを張ったテスト勉強が大当たりすることもあれば、全く当たらなかったり。
死ぬほど勉強しても、そんな時に限って教科書の隅っこの問題が出たり。
お腹が痛くて試験に集中出来なかったり。
努力に努力を重ねた部活の試合前日に怪我をしたり。
試合そのものが無くなったり。
明日すら、必ずあるわけではないのですから。 結果は、少なからず運の要素込みで決まります。
しかし結果が全てでも無い。
勝った負けたは、一つの見方でしかなくて。
それ以上に大事なものも確かにあります。
それをどう捉えるかはその人次第。
人事を尽くして天命を待つのは、結果にこだわった一つの観点で。
時には、すごく大事なものを見落としたりもする表現でもあるのかなぁと思います。
人事を尽くす、というところは非常にストイックで、好きではあるのですが。
なんでこんな話を書いたかというと。
冒頭の言葉を思い出したのと同時に。
人事を尽くすということが出来なかった人の話を耳にしたからで。
なんかこう。
やりたいことをやる。
努力する。
一生懸命になにかをする。
ということってやっぱり誰にでも出来ることじゃないんだなぁと再認識しました。
その人は。
あるスポーツをやっていて、怪我で諦めざるを得なくなったというパターンでした。
私は、小賢しくも。
それでダメなら他の道も模索してみようよ、とすぐに考えを切り替えてしまう癖があるのですが。
一つの目標に向かって一生懸命にやってきた人はそんな簡単に諦めがつくはずもなく。
例えば。
甲子園に行きたい高校球児は、甲子園に行けるかそうで無いかの二択しかないといったような。
そういう白か黒か、後が無い目的意識の中で取り組んでいるということもあるということに気づかされました。
真剣だからこそ。
そういう、一つの覚悟を持って取り組む。
達成出来るか出来ないかの瀬戸際で、ギリギリの勝負をする。
それもまた、すごく大事なことなんだなぁと思います。
人事を尽くすということそのものがまずもって尊く。
それがまず、出来るかどうかが最初の試練。
そこを通り抜けた人が、天命を待つ権利を得られる。
当たり前のようで、じつはとても難しい。
目線を変えればそんなこともあるのだなぁと、思いました。
なにがし。