病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

教育と経験と現実とのギャップを語る。

今日は。

ふと、子供の頃に怒られた記憶が蘇ってきたので、
なんとなくそれを書いてみたいなぁと思いました。

子供の頃に学んだことと、大人になって感じることの違い。

そんなテーマになります。

子どもの頃に怒られたこと

ルールをやぶってはいけない。
私の担任の先生はとりわけ、その中でも。

命や取り返しのつかないことに対してとても厳しい先生でした。

ある日、お互いふざけあって友達を転ばせてしまった時。
私は教室に呼び出され、彼が大怪我をしていま救急車を呼んだ!と先生に怒鳴られました。

実際は無傷で、救急車を呼んだことも当然嘘だったのですが。
私はなんて大変なことをしてしまったんだと、数分間でしたがとても後悔をしました。

その後に無事だった友達に平謝りをし、先生からは種明かしをされましたが、
そう言うことはとてもいけないことなんだと実感させられました。

私はそれ以来。その時の経験が全てとはもちろん言えませんが。

人に怪我をさせる、無理をさせる。
言葉でも、身体的なことも含めてそういうことが非常に恐ろしく感じるようになりました。

今でもその時の後悔ははっきり言って、忘れていません。

部屋で待ってろと言われ、救急救命士に状況を説明しろと言われたこと。
相手は重症で、保健室で苦しんでいると言われたこと。
自分はどうなるのか、逮捕されるのか。
親にも死ぬほど怒られるんだろうなぁ。

もちろん、お互いふざけていたとはいえ、
自分は無傷で、どちらが悪いかと言われればそれは明白で。
無事で済みましたが、そういう状況になりかねなかったのは事実なので。
私が悪いのは言うまでもありませんし、そういう指導をしてくださった先生には感謝すらしています。

大人になって感じること

人に気を遣うことはとても大切なことです。
私は本気で人に危害を加えてしまうことに対しての恐れが強い人間です。

しかしながら、気遣いにも塩梅というのがあります。

人を気遣うあまり、他人の懐に入ることを恐れる人間は。
正直、距離を感じ信用に欠けます。
相手もまた、踏み込めないのですから。
フランクに、気軽になんでも話せる人の方がお互いの距離が縮まりやすいので信用もされやすいです。

そして社会は。
少しぐらい無理してやっと丁度いいぐらいの場合が多いです。

だから。

私は、心のバランスが取れないんです。
何かがあるたびに、気遣い、恐れる。

叱られている人を見れば、心配になる。
泣いている人を見れば、ほっておけない。

なんて言うんでしょうか。

あの経験があったから私はこうなってしまった、と言いたいわけではないんですが。

今までの経験とか、味わったこととか。
そういうものと現実のギャップは、時として苦しみになる。

そう思います。

誰が悪いわけでもない。
何かが悪いわけでもない。

教育が悪かったとか、家庭環境がどうとか。
理由になりそうなことを挙げればキリはないのですが。

経験は経験で、嘘のないもので。どう受け取るかもその人次第で。 現実もまた、紛れもない純然たる事実なので。

曖昧なものと曖昧なものがぶつかる以上、どうしたってそこにギャップは生まれるものです。

そういうギャップとの向き合い方や、調整って大事なんだなと思うんです。

おわりに

世の中は広く。
感性も何もかも人それぞれで。
常識なんてものはほとんどすでに無く。
コミュニティによってルールも、考え方も無限にあります。

そこに、持っているものだけで立ち向かうにはいささか無理があると思います。

子どもの頃の経験や、体験から得たものは。
大人になってもそのまま通用はしない。きっと。

なかなか言うほど簡単ではないんですが。
やっぱりいつものごとく。

生きるって大変なんだなぁと、思うのです。

なにがし。