病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

継続によって育まれる確証バイアスの話。

今日のテーマは継続です。

重ねた年月には勝てない部分はどうしてもあって。
生きる上でとても大事な要素の一つだと私は思います。

今日はそんな、継続という行為の中に隠された力を紹介したいと思います。

**継続できない、してるけれど心が折れそう、そんな人に。

答えは。

黙って続ける、それだけです。

継続は大事

私は過去何度も。
継続することの重要さを考えてきました。
※最後に過去記事のまとめを置いていますので、良かったらそちらも。

今回はそれを少し別の角度から書いてみたいと思います。

まずは言うまでもなく、継続は大事かなと感じます。

人間生きている以上、何かしらの道を歩きます。

スポーツ。
社会人。
仕事。
恋愛。

どんな道であれ。
大体の場合は、自分より上の存在がいて。

あの人はいいなぁ、と思ったりします。

多少の才能やセンスはあれど。 熟練度は、基本的に継続によって磨かれ、その道について真摯に向き合っただけ磨かれていきます。

事柄にもよりますが少なくとも継続することがスタートラインだと私は考えます。

しかし時間は有限で。
社会人にもなると自由な時間はそこまで多くはありません。

その限られた時間の中で何を選び、何を考えるか。

そういうものが一人の人間としての価値の一つになってきます。

なので、物事と長い時間向き合っていくという継続はとても大事なんじゃないかなと思うんです。

確証バイアスとは

次に、この話のキモとなる確証バイアスについてです。

確証バイアスとはざっくり書くと、自分にとって有意義な情報を集める心の働き、です。

自分にとって有意義な情報は肯定的に捉え、そうでないものはできるだけ見ないように、または否定する。
必要のない(聞きたくない)情報はシャットアウトします。

世間では効果の定かではない商品がたまに流行ったりしますが、それにハマる人なんかは特に確証バイアスが働いている場合が多かったりしますね。

確証バイアスはあまり良い意味では使われなかったりします。
ネガティブかつ一般的な表現をすると思い込みとか盲信みたいなものに当たるからですかね。

しかしこれらは上手に活用すれば、生きる上で非常に強い武器にもなり得ると私は思います。

確証バイアスと継続の関係

多くの時間やお金をかけて、何かを継続する。

つまり、継続にはそれなりの代償が発生します。

そういうものだからこそ人は迷うのだと思います。

これで良いのか。
もっと良い方法があるのではないか。
意味が無いんじゃないか。 他にもやらなきゃいけないことがうんぬん。

こんな思いに満たされるから、継続することをやめてしまいます。

そんな時、確証バイアスがうまく働けば。
自分の心に渦巻く、継続を否定しようとするネガティブな思いをシャットアウトしてくれる、ということです。

意味がない?いや、意味があるに違いない。
時間がない?いや、時間がなくてもやる価値があるはず。
お金がかかる?いや、ここでやめたらそれこそ全て無駄になる。

確証バイアスが諦めようとする心を否定してくれます。

そうなったらこっちのもの。
あとはそのまま深く考えずに、心のままに。
継続することができるんじゃないかなと思います。

継続が難しいダイエットや筋トレ。

しかし。
長く長く続けた人は、その効果に惚れ込み。
常日頃から努力を継続するようになる人がいます。

色んな理由はあるのでしょうけれど、その中に確証バイアスも含まれている場合が多いのではないかなと思います。

確証バイアスを得るためには。

とにかく黙って続けることです。

それができたら苦労はしないよ!
そう思うかもしれません。

でもそんなの関係ありません。

黙ってやりましょう。

効果も、お金も、時間も関係ありません。

黙ってやるだけです。

ちょっと苦しい言い分なのは分かっています。

しかしながら。

黙ってやるのみです。

賭けた代償の分だけ。
確証バイアスも育つので。

それでいいんです。

面白くないなら、腹が立つなら、それでいい。

だって、頑張った分だけ。
信じたくもなるじゃないですか。

おわりに

なんだかんだ、私は思うのです。

今まで後悔したことも、間違えたなぁと言う選択をしたこともたくさんあります。
たくさんたくさんあるけれど。

ある程度時間が経つと、それでも良かったなと思えることがほとんどだということを。

これも確証バイアスかな、と思います。

どれだけ苦しんだとしても、それはもう過去の話で。
今の自分の血肉になっていることがなんとなく分かります。

だから。

今の苦しみなんて、何年か後には覚えていない。
むしろ、あってよかったなぁとすら思うのです。

大人になって。
学生時代に遊び呆けていたことを誇りに感じている人に私はほとんど会ったことがありません。 むしろ、あの頃もっとちゃんと勉強しておけば良かったと言う人がほとんどです。

今まさに目の前にある苦しみは。
未来の自分にとってのどんな経験になるのでしょうか。

目を背ければ背けるほど。
未来の自分は、あの頃にこうしておけば良かったと嘆くのではないのでしょうか。

もちろん、分かっていても簡単には出来ないかも知れません。
しかしどんな人でも。
年齢を重ねれば分かってくると思います。

そんなことを。今日は。

継続に関する過去記事

www.nanigashimental.work

www.nanigashimental.work

www.nanigashimental.work

www.nanigashimental.work

www.nanigashimental.work

なにがし。