病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

理想の生活は遠く、険しい。

今、幸せですか?と聞いても。
新婚ホヤホヤ、出産したての人、宝くじが当たったなどの一大イベントの直後でも無い限りは。

だいたいの人が何かしらの不満を訴えるもので。

本当の意味での幸せなんてものは中々手に入らないものだと思います。

さらに。

仮に望むものを一度手に入れたとしても。
人は慣れ、幸せだったものは日常に変わる。
残酷なまでのこの特性は、決して人に立ち止まることを許しません。

さらにさらに。
病気。事故。災害。
生きているだけで、常にこれらと隣り合わせで。
それらが人間を気まぐれにひと撫でするだけで、その直後からどん底に突き落とされます。

なので私たちは。
理想に対して、非常に不利な状況で生きていくことが約束されています。

だからこそ。
人生のどこかで、それらと立ち向かわなければならないと気付く必要があると思います。


私は恥ずかしながら、二十代後半になって気付きました。
そういうイベントに出会ったことに感謝しています。

今では。
幸せになるという願望は捨てました。
ただひたすらに。
より良い未来のために努力するのみです。その先に何かがあると信じて。

生き方は人それぞれで。
こんな考え方も私という人間がそれに至る経験をしたからそう思うだけで。
人によって違います。

しかしながら、人は理想に対して不利な状況で生きていくという部分は大間違いではないかなと思います。

考え方次第ですが。
何らかの形で前に進まなければ、多くの場合は苦しみます。
当たり前のことをやっているだけでは現状維持が精一杯で。
それ以上を求めて行動しなければ、掴めるものは少ない。

なにをどのくらいでどう良しとするかはその人次第なので。
あくまでも目安でしかありません。

誰かにとっての現状維持は、他の誰かにとっては努力の末に掴むものだったり。
誰かにとっての努力は、他の誰かにとっては当たり前程度のものだったり。

しかし。
目には見えない、あいまいだけれど絶対的な基準が実はどこかにあると思います。

弁護士になりたければ資格を取るしかないのですが、資格を取得するまでの努力の量は個々人で違うのと似ています。

鬼のように努力をしたとしても、世間がそれをどう判断するかは別の話。
人の持つ理想の多くは、世間がどうしても絡んでくるものなので。
その中でどうあるべきかを探っていく必要があるかと思います。


ズバリ書いてしまえば。
世間に認められる結果があって初めて、理想というものに少しだけ近づくことができるのだと私は思います。
運以外ではそれをやって初めて、手にする権利を得ます。
そしてそれを手にしたら、次はキープするための結果を出し続けなければいけません。
もちろん、理想の形は様々ですが。

兎にも角にも、結果を出さなければ。逆に、結果さえ出せば後から色んなものがついてきます。

理想の生活は遠く、険しい。

本当に、生きるって退屈しないなぁと今日は。

思った次第です。

なにがし。