病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

どうでもよい、自分の死後の話。

f:id:tpippi:20200717200004p:plain 関東に住んでいる時は気にしなかったけれど。

田舎に住んで思ったことの一つ。
亡くなった人の、看板の量がすごい。

正式な名称は分からないけれど。
この先のどこどこの誰々さんちの誰々さんが亡くなりました、というやつ。

毎日のように、新しい看板が立って。

それはすなわち。
毎日のように、何処かの誰かが亡くなっているということで。

子どもの頃は、自転車で移動する範囲しか気に知らなかったからなのか。
実際に高齢者の割合が増えて亡くなる人も比例して増えているからなのか。

大人になって死というものを漠然と意識するようになったからなのか。

理由は分からないけれど、ひどく目につくようになった。

さしたる知り合いもいないので、不謹慎かもしれないけれど。
スマホのニュースの画面のような、毎日変化するものの一つとして捉えている自分がいる。

私がもし突然死んだとしたら。
誰がどのように取り扱って、どうなって、どこの墓に入れられるか分からないからなのかもしれない。

生まれた家に帰って、よく分からない先祖の墓に入るのか。
今住んでいる場所の近くの墓にさらっと入るのか。

間違いなく親族間でちょっとした諍いになる。

そんなことがちょっと気がかりなのは事実で。
立つ鳥跡を濁さず、というのが出来ないことだけが今時点での心残りかもしれない。

何れにせよ亡くなった時点であれこれ迷惑は掛けてしまうのだから、少しでもそうならないように生きるというのは。
もしかしたらそれなりに、私の人生に与えられた課題なのかなと感じる。

まぁあと20年も生きれば大体の親族はきっといなくなるだろう。そこまで逃げ切ったら私の勝ちだ。

大好きな友人たちにはきっと、私の最期は知らされないだろう。

だからそれまで、この場所は守るよ。

なんて。

意味もなく、不思議と今日はそんなことを書きたくなった日でした。

なにがし。