能動的に生きないと負ける論理。
何だか難しそうな書き方ですが。
自分から行かなきゃ損する理屈があるんじゃないか、という話です。
何でもそうです。
待ってるだけで獲物が釣れるのは、
肩書きとか、容姿が抜群に良いか、面白い人か、一芸に秀でる人、飛び抜けた特性がないと難しくて。
仮にそれを持っていても食うか食われるかの社会で。
つまり待っている、非能動的な生き方では。
尚更のこと、縫い針で釣りをするみたいな話である様な。
そんな話だと思うのです。
人それぞれ。
何をどれぐらい持っているとか。
どんな才能だとか。家庭環境とか。うんぬん。
そういうものは、ぶっちゃけ一切関係無くて。
社会は。
その時点で何が出来るか?何をやってきたのか?
その心の内に何を秘めているかなんて関係無く。
無慈悲に人の価値を定める。
そんな場合が圧倒的に多いと思います。
だから。
能動的に、貪欲に生きていかなくては。
結局のところ、下手したら余裕で。
残酷なようだけれど。はっきり言って。
誰にも見向きすらされない。
と、強く思うのです。
こんな時代だからこそ、義理人情とか。
そういうものはとても暖かくて。
それを誰かに与えることも享受することも悪いことだとは思わないんですが。
かなり××××だと思います。
正直。
なにがしのヤロー何書いてんだか…
世の中もっと良いもんだぞ!
なーんて思ってくれる人がいたら。
とても私は、幸せで。
私ごときの偏見に満ちた世の中ではあってほしくないと願っています。
だから、と言っちゃ何ですが。
一人じゃ苦しいならみんなで、でいいから。
一緒に行こうぜ。
一人で歩く勇気が出たら、飛び立てば良いだけなんだから。
みたいな事を、伝えたいなと。
もちろん。
(おらおらケツに火が着いてんぞ!と背中を突き飛ばすぐらいがむしろ理想だと思うんですが)
私の個人的な立ち位置としてはどうなのかなと思いまして。
そこは決して面に出さず私の胸の内に仕舞っておきます。
なんて、自戒も込めて。
共にいきましょう。
この、原野を。
なにがし。