病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

見えるもの、見えないもの。

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今回は人生を大きく左右する目に見えない重みについて書こうかと思います。
見えるものと見えないもの。

これらが人の心を強く動かす理由について書きます。

以前書いた記事と合わせて。

www.nanigashimental.work

こういうものは。
自分の中で何度も何度も考えなくてはいけないのかな、なんて思います。

目に見えないものを考えるということ

これらは、間違いなく人生を左右すると私は思います。

娯楽に限らず。
仕事も、人間関係も。
自分のものの見え方も、他人のことも。

本当に大事なものは目に見えない、なんて言われますが。

大事かどうかに関わらず。
目に見えないものは思いのほかたくさんあって。

何を感じ、何を思い、何を選ぶのか。
みたいなことをちゃんと考えて生きていこう、なんて思うのです。

見えたから安心安全か。
見えないから不安で危険なのか。

きっと、答えはひとつじゃないと思います。

見えないけれど重いもの

もうさすがに時効なのでちょっと、体験談を書きます。

私は子どもの頃、学校の先生にかなりキツめのお叱りを受けたことがあります。
内容はさすがに書けませんが、今の時代では確実に首が飛ぶ案件でしょう。

この頃は、体罰などの教育のあり方が問題視されつつある時代でした。
おそらく先生もそのリスクについては承知の上だったと思います。

しかし、それをやらざるを得なかった。

理由は。

私が、学校と地域の人たちとの間で守られてきた伝統を軽んじたからです。

伝統を守らなくてはいけない。
自分の教え子が、それまで脈々と受け継がれてきた伝統を伝えていけないのではないか。
学校だけでなく地域も含めた伝統の継承の妨げになるのではないか。

そんな目に見えないものが、当時の先生の肩に重くのしかかったのではないかなと思います。

もちろん。
指導の在り方、伝統に関する考え方についての是非はありますが、話がブレるので今回は書きません。

見えないからこそ見えるもの

この話の肝は。
目に見えないものであっても。
いえ。

目に見えないからこそ人は思い切って行動するもんだ、ということです。

時に実体の分からないものに恐怖し。
そして時に、分からないからこそ身を投げ出す。

目の前に崖があって、ほぼ確実に命を落とすであろう場所へ飛びこめる人はそんなに多くはありません。
しかし。
なんだかよく分からない暗がりの中でも歩めるという人は少なからずいるはずです。

同じく、命を落とすかもしれないとしても。

見えないからこそ勇気を持って進むことができたりします。

石橋を叩いて渡るよりも、思い立ったが吉日と言わんばかりに進む方が、なんだかんだ上手くいったり。

見えることの方が苦しくて、見えないことの方が楽しいこともあるわけで。

そういうものとの付き合い方が人生に大きく影響していく、なんて風に思います。

おわりに

以上から、私は。

目に見えないものは、人生を大きく左右するものだと考えています。

そこにどう向き合っていくか。

見えるものを求めて、その場で辺りを見渡すことも。
見えないながらも、勇気を出して進むことも。

人は自由に選ぶことができる。少なくとも向き合うことはできる。

そんなことを。今日は書きたいと思いました。

なにがし。