ふと気づくと手遅れだった。
すでに取り返しがつかなかった。
世の中にはそんなことが溢れています。
こうなるかもしれないから事前にやっておこうといった、いわゆるリスクマネジメント的な考え方は。
とどのつまり、どれくらいやってもいい。
何を持って何をして。どのように、どれくらいというのは個人の裁量と環境によるところが大きい。
と私は思っています。
極端な話。
戦争や大災害が起きることを懸念して、個人で何千万もするシェルターを家に作るとか、
はたまた何かあった時の為に高額な医療保険に入っておくか、みたいな話で。
自身の経済状況も影響はするのだけれど、ある程度は完全に自由で。
やるか、やらないか。意識するか、しないか。
そしてそれらの良し悪しは、単純に全て結果次第ということになります。
今の世の中は、本当にいろんなことができます。
世界中の情報も、やろうと思えばいくらでも手に入ります。
それなりの専門知識もYahoo!知恵袋もあるし、twitterで専門家に頼み込めば教えてくれるかもしれない。
極論、それなりのリスクを負ってハッキングの技術でも学べばもう、とんでもない情報が見れるかもしれない。
何を選び、何を捨てるか。
その自由度は、昔と比べて、はっきり言って計り知れない。
だからこそ。
自分の思考、考え方が大事なんだと私は思います。
どこまで、何を考え、行うか。
もちろん昔からそういうことを人は考えたのだろうけれど。
それこそテレビや新聞が情報の主だった頃に、今の時代のような考えはまず起こらない。
ものすごく悪く言ってしまえば、右向け右で一斉に右を向いてさえいればそれで良かったはずだ。
むしろ国民として望まれてすらいた。良し悪しは別として。
私たちは、自由という名の不自由の中を生きるんだ。
いくらやっても。
何をしても。
何を良しとするか。そうでないか。
その全てを、自身の責任を持って判断し、切り拓き、時に納得し、時に苦しみ、他者と争い、求めあって、分けあって。
怯み、怯え、臆し、味わって、噛み砕いて、諦めたり踏ん張ったりして。
ただただ、そんな風に生きるんだ。
そう思います。
あくまでも、私の中の人生とは、こんな感じで。
他の人がどう感じるかなんて、私には想像もつかないけれど。
書きたくなった。今日は。
こんなエゴイズムにまみれた言葉を。
どうしても。
なんて。
なにがし。