自分を知ってもらえるっていいな。
久しぶりにそんなことを感じた個人的ニュースを。
毎朝仕事前に寄るコンビニで。
私は基本的にEdyで支払いをするのですが。
いつもいる店員さんが「Edyで」と言う前にEdy支払いにしてくれるようになりました。
ものすごい小さな話で、人によってはくだらないとさえ感じるかもしれません。
でも、なんだか自分にとってこういうことは。
あぁ、私はこの人に自分の存在を認識されているんだなと感じます。
そんな嬉しいような、むず痒いような感覚です。
同時に。
自分の中に、ある気持ちが湧き出すことに気づきました。
それは。
放浪したい。
という気持ちです。
私のこれまでの人生の中で、いわゆるバックパッカーに出会う機会がそれなりにあって。
これまで5人以上は結構濃いめに(お酒を飲んだりして)接してきました。
その人たちと時間を共に過ごすことで芽生えた感覚なのか。
はたまた私が元々それに憧れを感じる人間なのかはわかりません。
しかし、何となく。
人と深く付き合うようになって慣れてくると、私はそれが性に合わないと感じてしまいます。
なんなんでしょうね。
寂しがり屋の一人好き、なんて表現がありますが。
あまり良いものではないとは思うのです。
長い時間その場で過ごすということはざっくり書いてもすごく大事だったりするもので。
時間だけが大事というわけでも無いのですが、親しみのある関係性の中で生きやすさは高確率で芽生えますしね。
出来るならそれに越したことはないのです。
でも、私はなぜか苦痛も感じてしまう。
きっと、深く付き合った人との別れが怖いんだろうなぁと思っています。
こう感じちゃうんだから仕方ないでしょプンプン、とポジティブに割り切って。
今は、いろいろあって難しいけれど。
いつの日か、縁があったらそんな人生も歩めるように。
半端かもしれないけれど、臆病者だと言われるかもしれないけれど。
私はそんな人間だと、胸を張って生きる。
そんなことを感じた秋の夜長です。
なんて。
なにがし。