百聞は一見にしかず。
どんなに知識があっても、それを経験したのかどうかはものすごい大事だと思います。
今日は。
体験談を少し書きたいと思います。
認知症になった、叔母の話を。
私の祖父は昔ながらの大人数の兄弟で。
その上から二番目か三番目に生まれた叔母さんの話です。
叔母には小さい頃から随分とお世話になっていました。
実家と離れている場所に嫁いだのですが、ちょうどその近辺に頻繁にいく用事があって。
家に泊まらせてもらったり、叔母の子どもに車を出して送り迎えをしてもらったり。
それ以外にも。
気が強く、江戸っ子的な人だったので。
何かと癖の強い祖父の兄弟たちのリーダー的存在として。
親族間の面倒なことをスパッと解決したり。
本当に、頼りになる叔母でした。
そんな叔母としばらく会う機会が無くなって。数年前に突然。
叔母が認知症になったらしい、と連絡が入りました。
私は、あの叔母が認知症になったなんて何の冗談だと一笑に付していました。
そんな時。
たまたま親族が集まる用事が入り、その叔母と会う機会が出来たのです。
久しぶりに会う叔母。
いくら認知症といっても、まだ少し忘れたりする程度だとその時点では聞いていたので。
私には不安な気持ちなど微塵もありませんでした。
しかし当日、私は絶句せざるを得ませんでした。
あの、気が強く。
機関銃のように話し、常に堂々としていて。
しかしどこか気品のある素振りすらも時折見せていた叔母が。
借りてきた猫のように、親族の集まりの中で怯えている。
私にもそれなりに人の表情を見る能力はあるはずで、そのあまりにも嘘のないその戸惑いの表情が。
この人がそんな顔をするはずがない、という私の中の固定観念とぶつかり合って、言葉が出ない。
私に会った最初の一言は。
蚊が泣くような声の
「初めまして」
でした。
叔母は生きている。
記憶は無くとも私が知っている叔母で。
しかし叔母の中の私は消えたのだと、そう認識せざるを得ませんでした。
双極性障害で我を失った人も。
幻覚を見て何もないところに話しかけ続ける人も。
いわゆる多重人格で、顔つきや話し方が変わる人も。
様々見てきたけれど。
訳のわからないことを言われるよりも。
鼻をかじられる様な距離で死ねと叫ばれたことよりも。
顔面に料理が乗った皿を投げつけられるよりも。
己の腕と太ももを糸で縫い付けられた写真を送りつけられても。
それらの何よりも、叔母が言った静かな言葉は心に刺さった。
私では、抗えない。
認知症は不可逆。
私の中の知識が、抵抗する力も何もかも失わせた。
絶対的な、冷徹なまでの圧倒的事実。
こんなに切ない一言は、ない。
私がなんでこんな話を書こうかと思ったか。
それは。
人は簡単に、目の前からいなくなるということを少しでも知ってもらいたかったからです。
泣かせたいなら、泣ける映画何選!みたいな記事を紹介すれば済みますしね。
感謝を伝えるべき瞬間。
思いを伝えるべき瞬間。
そういうものは。
打算を繰り返してこのタイミングしかないと、狙い打ちすることも否定はしませんが。
基本は、思ったなら言え、ということだと私はいま、感じています。
こういう経験を繰り返して傷ついてきたから。
きっと、世の中の大人たちは思ったことをズケズケと言えるようになるのだと。
そんな風にも思います。
人は、時間や命には抗えない。
しかしそれを知る術は己の身をもって知るしかないのです。
何とも思わなければ今はそれで良いんです。
でもいつかきっと、多分気付く日が来ます。そう思わざるを得ない出来事に出会います。
そんな時に。
あぁ、あいつがうだうだ言ってたのはこういうことなのか。
ぐらいは思っていただけたら。
そんな思いを込めて。
なにがし。