私が昔勤めていた会社の、始末書のフォーマットで。
やってしまったことの要因の種類を選びなさい、という項目がありました。
中には。
うっかり、焦り、煽られ、不注意。
そんな項目に混ざって、知っているが出来ないというものがありました。
今回はそんなことを書いていこうかと思います。
人の心は、然もありなん。
知っていてもできない、ということ
皆さんの周りには、知っているけれど出来ないことってありますか?
多分、人によりけりですが結構あるんじゃないかなと思います。
例を挙げてみましょう。
上司に文句を言いたいが、言えない。
パートナーに言いたいことがあるが、言えない。
勉強しなければいけないのに、出来ない。
朝早起きしたいのに、起きられない。
仕事のやり方を変えたいのに、変えられない。
仕事を辞めたいのに、辞められない。
などなど。
言いたいのに言えない。
やりたいのに、出来ない。
こういった感じのことは大概、知っていても出来ないことです。
なぜ出来ないのか
なぜ、こうしたいと感じる自分の意思に反して実際には出来ないのでしょうか。
理由は様々あると思いますが、ざっくり書くと。
メリットとデメリットを天秤にかけた結果かな、と思います。
頭でどう考えていようが、実際に行動を起こすことは他人に影響を及ぼしたり、どうしても面倒だったりします。
基本的に脳は現状維持が大好きなので、これも出来ない理由を後押しします。
どれだけこうしたいと思ってもやらないのは、天秤がそっちに傾いているだけ。
大概のことは、行動を起こすこと自体はできるはずなので。
どう向き合うのか
物理的に不可能なことよりも、やろうと思えば出来るからこそ。
そこに、それを選ばないという苦悩が生まれます。
この苦悩に悩まされるのが、人。みたいなところはどうしたってあります。
立ち向かえるなら、立ち向かいましょう。
しかし、それが出来ないと思うなら。
酷な言い方かもしれませんが、苦しむしかないと思います。
そして苦しんだ分、それをはねのけるエネルギーに変えるんです。
やらない側に傾いた心の天秤の逆側に、苦痛という重りを乗せる。
このプロセスが私はものすごく大事かな、なんて思います。
おわりに
知っていてもできないのは言い訳でしかない、と断ずることは私には出来ません。
正直、そう言ってしまいたい部分はものすごくあります。
考えようによっては言い訳や怠慢みたいなところはどうしたってありますし。
自分の行動で道を切り開くことの重要性も強く感じています。
しかし、協調性という十徳ナイフみたいな言葉が日本には浸透しているのもまた事実で。
多くの人が苦しんでいるということも私は感じています。
だから。
せめて。
その苦しみを無駄にだけはしないでほしいなぁと思います。
やさぐれて、気付いた時には手遅れで。
何にもならない、ただただ苦痛を感じただけの結果は、悲しい。
もちろんそれによって得るものもあるので、また立ち上がれるならばそれで良いとも思いますが。
世の中そうとも限らないもので。
ほんの少しでもいいから、強く生きなきゃいかんと言うことを知ってほしいなと思います。
なにがし。