病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

綺麗事に頼ったっていいんだ。

f:id:tpippi:20201121131108j:plain 心が病んで、世の中が憎たらしく思えてくると。

綺麗事みたいなものに対して、拒否反応が出てくることがあるような気がします。

美しく彩られた言葉や、考え方に対して、自分とは無縁だから。
そしてただ無関心でもいることも出来ず、吐き捨てるようにどうでもいい綻びを指摘して、
優越感に似ているだけの小さな喜びみたいなものを得ようとする。

もし、同じように感じる方がいたら。 それはダメなことなんじゃないか?なんて否定はしません。

しかし私はそんな時こそ、病んでるからこそ。
**それが何であれ掴み取って這い上がらなきゃいけないんじゃないか?と先日、感じました。

今日は、そんな話を書こうかと思います。
他でもない私自身が、こんなような人間で、なんの説得力もないことは分かっていますが。


本当に、綺麗事を否定して得られるものは、小さいんです。

綺麗事とは、物事をいろんな方向から見て、一番綺麗に見えるところを、綺麗な表現で包んで表すということだと思います。

だから、別にその物事を綺麗にしているわけではないんです。見ていないように、見えないように表しているだけです。

それの綻びを指摘するということは。

人気のラーメン屋さんで出されたラーメンに対して、
「これって牛とか豚の髄液入ってるんですよね?私は食べられないなぁ(でも本当は食べたい)」と言うような感じですかね。
(あくまでもたとえ話です。私はラーメン大好きです。)

もちろん世の中にはこう言う理由で食べられない人もいるかもしれないので、そういう人は除いて。

病んでる時に、一瞬の心の安定の為に。
他の物事を頭っから否定するのはこんな感じかなと、思うんです。
だから。

それをやって得られるものは、多くはありません。間違いなく。
そして、素直になれない気持ちも痛いほど分かるんです。

だからこそ、書きたい。

いまあなたに必要なのはそれなのか?
落ち着いてからでいいから一回考えてみようよ、と。


結局、いつか立ち上がらなきゃ楽にならないんだから。

心の奥底で綺麗事なんてアホかと思いながらでも。表面だけで、こういう考え方も悪くないんじゃないかと思うことも悪くないんじゃないか、と思うんです。
自分が立ち上がるということにさえつながればなんだっていい。

もちろん綺麗事を否定して自分の力で立ち上がれるならばそれもいいです。できるならそれでいいと思います。

あくまでも私は。
今回こんなことを書くきっかけにもなったんですが。 綺麗事に目をキラキラさせている人がたまに放つ、とんでもない正論に耐えられなくなってきたんです。

綺麗事は嫌いだなんて、つんけんしている時に。
苦しいながらも笑って歯を食いしばって頑張る人を見るのは、本当に心にくる。

何が良くて、何が悪いかなんて思いません。
生き方は人それぞれで、何を感じるかもその人次第なので。
何であれその人の行く道が少しでも納得できる道ならばそれが一番。

今回の話の中で、何か感じるところがあればそこだけでいいので。
持ち帰ってもらえたら嬉しいなと思います。

私は、ほんの少しだけ。
軌道修正していこうかな、と思いました。

自分の心のままに、得たものを素直に。

なんて。

なにがし。