人の心は、たいがいものすごい正直で。
だから何かを失う時。
例えどんなに覚悟していても、やっぱりまぁまぁ悲しい。
そんな風に思います。
怒られると分かっていても、言わなければならないこと。しなければいけないこと。
失望されると分かっていても、やってしまう失敗。
自分の貯金がガッと減る、大きな買い物。
痛いと分かっている注射や治療。
ある程度の覚悟を持つ時間があって。
意を決してその決断をする、させられる。
大丈夫、耐えられる。
そう思いながら耐えるのだけれど。
どれだけ強がっても。 喪失感みたいなものはどうやっても防ぎようがなくて。
絶叫マシンなんかで、高いところからひゅっと下腹が落ちる感覚とどこか似ている感じが私はするのです。
信用だって、お金だって、何だって。
きっと。
自分にとって大事なものだから、それを少しでも失わないように、失いたくないと感じるように。
出来てるのかなぁと思います。
ものすごい当たり前だけれど。
そんなことを書きたいと思いました。
一番悲しいのは。
そうなって初めてわかるパターンがあるということです。
失うことは怖い、けれど失わなければどれだけのものを失ったか分からない。
そして、失わないという保証も何もないのに、人は失うことに対する恐怖を見ないようにする。
挙げ句の果てに、失った苦しみを感じるまで人の頭は、何もしないことさえある。
強く意識しなければ、失うということは人にとっての奇妙な隣人なのかもしれません。
付かず離れず、時に傷つけ時に支え合う、そんなよく分からない関係。
あれ、何かに似てますね。
なんて。
なにがし。