本というものには、書いた誰かの思いが残る。
絵というものには、描いた誰かの思いが残る。
音楽というものには、歌声や、楽器を弾いた人、構成を考えた人の思いがこもる。
誰かが作った手料理は、素材選びから味付けまで、食べる人のことを考えて作られているかも知れない。
さっき使った箸や器も、職人が1つ1つ丁寧に作ったものかも知れないし。
今日着た服も、履いた靴も、誰かが一生懸命に考えてデザインしたものかも知れない。
昨日食べたレトルト食品は、食品会社の人が頑張ってプレゼンして勝ち取った商品かも知れないし、
おととい食べたコンビニのスイーツも上司にダメ出しされながら開発した人がいると思う。
みんなが当たり前に使うスマホだって、ものすごいたくさんの人の手や知識を持って出来上がっているのだし。
それを徹夜で運ぶトラックの運転手も、工場の生産ラインも。
いろんな人のたくさんの手の中から生み出されたもので。
そんなこと気にする必要はないと思えばそれもそうだし、
そう考えると自分の手元に来たことってすごい素敵だと思うこともきっと悪いことじゃない。
要は解釈の仕方の話なのですが。
自然にあるものではなくて、何か人の手の入ったものって。
そこから得られる感謝みたいなものは本当に無限にあると思うのです。
心から表現したものと。
生きる為にただ働いた結果、出来上がったものと。
それなりに違いはあるかも知れないけれど。
無機質なモノとしての受け取り方よりは、何かを感じることの方がきっと、意味はある。
例えば部屋の中をぐるっと見回してみて。
それらが自分の手元に来るまでにどれだけの人の手に触れたのかと考えると、一部屋でものすごいことになるんじゃないかなと思います。
そう考えてみると。
自分一人で生きている、なんて考えは持てない。
なんだか、そんな感じなんです。
伝えたかったのはそれだけなんです。
なんて。
なにがし。