私は、友人に良くこんなことを言います。
今日は、どんな日だった?
もちろん、もっと砕けた言い方です。
こんな風に聞くと、大抵はいつもと変わらないよと返ってきます。
しかし。
何かあった日にこの言葉を聞くと、正直に話してしまいたくなるような不思議な力があるようで。
私は好んで使います。
思い悩むことは悪いことではありません。
誰かに話したいと思えば、話したっていい。
話したくなかったら、話さなくてもいい。
少しでも、この世の中に。
自分の心の赴くままを染み込ませるように。抱え込むことのないように。
そんな風に考えてもらえたらなぁ、と思うのです。
人を傷付けても良いとまでは言えないけれど、眼鏡拭きで磨いたって眼鏡は傷付きます。
それと同じで、どれだけ気をつけても人は傷つき傷付け合う間柄であることは、否定できません。
眼鏡の傷は一度ついたら消えませんが、人の心はいつか癒える。
袖振り合うも多生の縁、なんて言葉もあったりして。
袖が擦れるぐらいの、傷の付けあいはあってもいいんじゃないかなと。
そこから結び付く縁だってたくさんあるのだと、少し難しいけれど思うのです。
擦れ合った袖を、気にして気遣ったとしても。それは優しさとは限らない。
なにがし。