病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

子どもたちの目は、まっすぐにあなたを見ている。

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最近、テレビを見ていて思うんですが。

新型コロナ対策として出演者がアクリル板越しの番組もあれば。
さも当たり前のように、パッと見、何の対策も何もしていないような番組もあります。

合成しているわけでもなく、当たり前にスタジオでマスクもアクリル板もなし、ソーシャルディスタンスも取っていない。
私のような素人が見ても分からないような、高度な対策が取られていることを願います。

昨今のコロナ事情として。
変異したウイルスが日本に入ってきた、との報道もありましたね。

まだまだ、しっかりとした感染対策が必要だと感じます。

個々人のしっかりとした感染対策と、経済に対しての活動。
シンプルでありながら一方で複雑な局面でもあるなぁと、思ったりします。

で。

私の身の回りで耳に入るだけでも、色んな主張をする方がいたり、実際に起こったことがありました。

感染対策、感染対策と人には言いながら、何時間も小さな部屋で無意味と言える会議だけは連発したり。
この時期に大人たちだけでわざわざ集まって声を出して行うレクリエーションを計画してみたり。
無防備に飲み屋で誕生日パーティーをしてクラスターを引き起こしたり。

リスクを鑑み、それに向き合い、対策して行なった結果とはかけ離れた所業の数々。

大事をとってという大義名分を盾に、
力無き子どもたちには我慢を強いているというのに。

恥ずかしげもなく、無意味なクラスターを引き起こす大人たちは、情けないとしか言いようがない。
はっきり言って、そんな風に思います。

こういう書き方は良くないかもしれないけれど。
なぜこうも、考えようとしないのか不思議でたまりません。


この事実を。
修学旅行に行けなかった子どもたちがスマホやネット、テレビを介して目にし、何を思うか。
懸命に練習してきたのに最後の大会に出られず、涙を飲んだ子どもたちが、何を思うか。
コロナに関連する死に向き合う人、悲しむ人、それを支える人が何を思うか。

そんなことを考えてほしいな、と思います。

一回りも二回りも、三回り以上も年の離れた子がこういったニュースを見て。
なんでそんなことするの?おかしいよね?と話していたのを私は聞いた事があります。

知り合いの中学生の子は修学旅行が中止になったことを今もずっと、怒っています。
中止になった事そのものではありません。リスクが高いことは子どもたちも重々分かっています。
私は詳しく話を聞かせてもらいましたが、 大人がもっともそうな理屈だけを並べて、心に寄り添うことを疎かに、その思いを蔑ろにするような説明をした事が原因です。
本人も何よりそれが腹立たしい、と言っていました。

社会の厳しさを叩き込む教育的観点でもなければ、至極真っ当な意見だと私は思います。

正直、言い訳はできません。
年功序列という考え方の圧倒的崩壊の音が、私には聞こえた気がします。

もちろん、全員が全員ではないですが。
ここまで言われると、もはや隠しきれません。

大人であろうと子どもであろうと。
自分は我慢しているのに、という不条理な現実に腹立たしい思いをするのは至極当然です。
だから必然的に、その不条理を作り出している存在を見る目は厳しくなります。

大人には経済を回すという役割があるのは事実。
だから、飲み会をしたいならすればいいと思います。忘年会だって、あくまでも自粛の範囲内。

しかし、それは当然ながら感染対策をちゃんとした上のものであって。
それを講じずにやりたいことだけやるということは単なる無知であり無謀。
経済に寄与しない小さなコミュニティで行われる無意味な会議なんて話にすらならないと私は思います。

今日本の、そして世界中の人間が試されている。

原因の追究はあくまでも別問題で。

子どもたちの大人に対する信頼も、大人同士の信頼も。
変化について行こうとしないコミュニティも、何もかも。

事が起きれば明日にでも吊るし上げられ、その立場を失います。
メッキで隠した様々な事実が露わになる。明確になる。淘汰される。信頼を失う。

常に人の傍にある死に加えて、ワンミスで社会的にオーバーキルも十分あり得る世の中に、
さらに投下された新型コロナという脅威。

よく考えてほしいと思います。
子どもたちの目は、まっすぐにあなたを見ている。

下手をしたら、もう見向きもされてないかもしれません。

自分の足元を含めて、ちゃんと見つめなおさなきゃいけないなぁ。

と思った、今日でした。

なにがし。