人には、それぞれ役割があります。
別に押し付けるわけではありません。
周りから求められる無言の役割。
親として、子として。
ご近所さんとして。
男性として、女性として。
上司として、部下として。
リーダーとして。お客さんとして。店員さんとして。友人として。
通行人として、傍観者として。
そして。
その人そのもの、〇〇さんとして。 その人がその人であるがゆえに求められる何かがある。
ネガティブなものもないとは言えないけれど、当たり前に誰かに求める悪気のない役割もある。
その役割を演じることで、その立ち位置を守ったり心の安定を得たり。
逆に。
その役割を演じることで、苦しんだりするものです。
今日は、そんな役割と、人の話を。
私の知っている人は。
周りから、お酒が好きな人という役割を頂いていて。
だからこそ。
例えば誕生日になれば人からお酒をいただき。
例えばクリスマスやお歳暮でもお酒をいただく。
飲み会となればお酒を注がれ続け、意識も失い、足腰も立たなくなるまで飲み明かし、生傷を一つ二つこさえて家に帰ります。
こんな書き方をしたら失望されるかもしれませんが、この人はそれによって死ぬのではないかなと私は思っています。
お酒が好きだからお酒を飲ませれば喜ぶだろうという周りからの役割。
昔はそれさえあれば良かったのは間違いありません、しかしそんな一方で。
もう酒は飲むな、というお医者さんからの言葉ももらっていたりします。
人から求められる役割から逃げ出すことができず、自らの傷を少しずつ、深く大きくしていく。
お酒を断つべきという考えは無くもないけれど、それがない人生も想像できない。
飲んで死ぬなら本望だ、とその人は言います。
生き方は、人それぞれあるので。
薄情かもしれませんが、私は何も言いません。言う立場にもありませんし、酒飲みの私が言ってもしょうがない。
昔は、言ったこともあったけれど。
自分の生き方を何より大事にするということを、私は否定することはできません。
私自身も、一度きりの人生で好きなことをやって死ぬという考えは間違っているとは思わないからです。
少なくともその人にお酒をあげることはやめましたが、
何かあった時は止めなかった責任に苦しむことを覚悟しています。
悲しい、虚しい、悔しい、苦しい。
一言で言えば、こんな感情ですが。
そんな簡単に表せるものでもない。
こんな時はなんて言うんだろうな。
難しいってこういうことなのかな。
なんて。
なにがし。