今日は、このコロナ禍における、私がふと感じたことを書こうと思います。
私は少し特殊な病気を患っていて、その箇所については近場の病院ではまず治療してくれません。
応急処置、対症療法はしてくれるとしても、本格的な治療は専門の先生でないと難しいのでしょう。
いま、このコロナ禍においてこのような事情を抱える人はとても大変だと思います。
誰もが知るような大きな病気ならば地方に診察できる病院もあるかもしれません。
しかし病気によっては診察をしてくれないものもそれなりにあるんじゃないかなと思います。
私はたまたま、命に関わるような病気ではありません。
特に私が思うのは、直接的に命に関わらない病気こそ、必要な時に遠くの病院に意を決して行けるかどうか、という点です。
加えて、病気の兆候を感じる方もそうですね。
きっと。
誰もが、自分の身を案じてもらえる立場にいる人だけではありません。
そういう人にとってこのコロナ禍は、治療に行くというハードルを引き上げた、と言えます。
小さな症状から、思わぬ大病が見出されることもあって。
平時ならば行ってもいいかなと思えたかもしれないのに。
世間で叫ばれる医療崩壊という言葉で遠慮し、自らを後回しにして取り返しのつかなくなる人がいなければいいなぁ、と思います。
もちろん重い軽いに関わらず、すでに病を患っている人を含めてしっかりと自分の体調と向き合ってほしいです。
難しいことは、私は分かりません。
現在、全国の医療機関がどのようになっているか、その実情は私には知り得ないのでその点については書きません。
あくまでも、今の状態をどのように感じ、どのように行動するか。
その選択をする時に、漠然とした遠慮で適切な医療を受けようとしないことは、良くないのではないか。
そんな風に思うのです。
こういう考え方の良し悪しは正直私には分かりません。
単なる、どこの馬の骨とも分からない、いち日本国民の願い、独り言です。
願わくば。
悲しむ人が少しでも、減りますように。生まれませんように。
なんて。
なにがし。