人は、人一人分の椅子に座って生きている。
そんな言葉を思い出しました。
Jポップの歌の中にもこんな表現がよく出てきますね。
私たちは、一人分の居場所を当たり前に占有しています。
喫茶店に入れば、一席分。
親にとっての子であれば、一人分。
誰かにとってのパートナーであっても、一人分。
レジ打ちをしてもらう間も一人分。
上司と部下も。
友人、知人も。
読書感想文の最優秀賞も、大会の優勝者も。
数に限りのある椅子に、一人分の誰かが座る。
何かしらの、限定された枠組みを囲ったり、奪われたりしながら生きています。
良いとか悪いとかではなく、これは当たり前の事実だと思います。
情けないかもしれないけれど、私は今、この世界が少しだけ嫌だなぁと思ったりします。
基本的な部分として、この椅子取りゲーム的な弱肉強食は当たり前のことだと思っているので、それはそれで割り切ってはいるのですが。
一人分の椅子では飽き足らずに無意味に他人を椅子から蹴落としたり、二人三人分の椅子に一人で座る人がいる。
自分の座っている椅子が誰かに奪われそうになったら、時には相手を殴ってでも守らなくてはいけない。
結果、奪おうとした側がなぜか被害者のテイで、さらなる混沌に塗れる。
なんていうんだろうなぁ。
これが社会の真の姿というだけなのか。
私の身の回りだけがこんな状態なのか。
分かりませんが。
己の居場所を作ろうと、やっきになることに嫌気がさしてきている。
そんな気持ちに支配されています。
もちろん、やることはやるし努力は怠らない。
喧嘩を売られたら買ってもいいし、立っているだけの自分の居場所まで奪われる筋合いはないけれど。
なんだか、こう。
すこし、つかれたなぁ。
そんな言葉を吐くと、ものすごく納得できるんです。
いつか。
自分の望む場所へ。望む人の所へ。
生きている間に、たどり着けたら良いなぁ。
もう少し。あと少しで良いから。
心穏やかに生きさせてくれよ。
そんな贅沢を心の底から思った、今日でした。
なにがし。