私は、人の愚痴を聴かせてもらうことでメンタルを保ちます。
今日はその中でも、聴くには聴くけど、聴くのが最も苦しい話をしたいと思います。
一番きつい、友達の話
一番きついのは、これです。
「友達に悩みを打ち明けられて、どう答えたらいいか分からない」系の話です。
中にはその友達の鬱っ気に引きずられて、ものすごい落ち込んでくる人もいます。
これです。
この手の話が一番きついと私は感じます。
なぜきついのか
これには、大きな理由があります。
自分も同じような経験を思いっきり経験しているからです。
なんとかしてあげたい、でもうまくいかない。
そんな苦しい思いをした上に、とことん甘えられたり、時にちょっとした一言でブチ切れられたり。
ものすごいメンタルを揺さぶられるものです。
だから、共感しようにも同感の気持ちが優位に立ってしまうんですよね。
だからきついのです。
失敗した自分の記憶がフラッシュバックしてしまいます。
対処が難しい
そして、この手の話は、対処が非常に難しいのです。
おいそれとアドバイスなんてできません。
話を聴き、ほんの少しでも楽になってもらい、また苦しませる。
あれです。戦場の病院。
野戦病院みたいな感じです。
ぼろぼろになった戦士を癒し、そしてまた戦場に送る。
何を選ぶのもその人の自由です。
もちろん、あまり酷い場合は関係を断ち切れとやんわり言ったりもしますが。
結局は三者三様に苦しみ、落とし所がくるのを待つのです。
こういうところも、私がこの話が苦手とする理由になりますね。
言いたいこと
自分の体調が崩れるほどのコミュニケーションはよくない。
私が言いたいのはこれだけです。
どれだけ仲が良くても。
どれだけ助けたいと願っても。
もちろん、耐えたからこそ助かった、ということも無きにしも非ずではあるのですが。
それは結果的に良かったというだけの話です。
体だけでなく。
時には心のソーシャルディスタンスもあってもいいと私は思います。
うまいこと言えたようで全然言えてはおりませんが。
そんなことを伝えたいと思いました。
なにがし。