病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

高・低文脈文化を語る。

f:id:tpippi:20210703170738p:plain 今日のキーワードは「文脈文化」です。

およそ聞き慣れない言葉かとは思います。

しかし、多くの人がこの文脈文化に何度も悩まされてきた経験があるはずです。

よく聞く表現に置き換えると、「行間を読む」とか、「他人の気持ちを察する」といった話。

その正体をちょっと知っておくと何かに使えるかもしれません。

※あくまでも考え方のひとつです。参考程度に考えてください

高・低文脈文化とは

文脈とは、言語外の情報を指します。

文脈の重要度が高い文化を持っているならば「高文脈文化」

逆に文脈の重要度が低ければ「低文脈文化」となるわけです。

日本は、どちらか分かりますよね?

圧倒的に高文脈文化です。

具体的な違い

例えば、電話の話し方で違いがあらわれます。

日本で電話をかける際はこのように言います。

「もしもし、〇〇と申しますがAさんはいらっしゃいますか?」

ざっくり書くとこんな感じですね。

これ。

文脈を無視すれば、Aさんがいるかどうかの確認しかしていません。

しかし、「Aは隣で仕事をしていますが、それがどうかしましたか?」

と答える人はほとんどいません。

だいたいの場合は少々お待ちください、と電話を代わってもらえます。

Aさんと話したい、という意思を察してくれるわけです。

私は外国語は詳しくないので、ちょっと調べた程度ですが。

英語で同様の電話をかける際は、

May I speak to Mr. A?

Can I speak to Mr. A?

というように確認するそうです。

私はAさんと話したいのですが、とはっきり確認していますね。

文脈で人付き合いは変わる

で。

最初に軽く触れたんですが、これはあくまでもひとつの考え方です。 

もちろん電話の例を考えれば、暗黙の了解、慣例、みたいなものが存在しているのは事実です。

しかしそれは、どの国、どの文化でもあるはずです。

個人単位でみれば、割と人それぞれなのかなぁと私は思っています。 

何事も柔らかく伝えてもらいたい人もいれば。

多少言葉が悪くてもストレートに伝える方が好感がもたれる場合もあります。 

日本でも、遠回しで伝えることが美徳と考える人が多い地域もあれば。

分かりづらい表現を避けることが必須とされている場所も、そういう人もいるわけです。

つまり、コミュニケーションという観点でのみ考えるならば。

相手がなにを求めているかを見極める力が必要なんですよね。

やんわり伝えればリスクは少ない。

しかし、それでは人の心には響かないことも往々にしてある。

そんなことを今日は伝えたいと思います。

おわりに

私は、とにかくやんわり伝えるタイプの人間です。

しかし最近、それではいけないと思うことが多いです。

自分の身の回りを見渡せば、それまで送ってきた人生というものが多少なりとも分かります。

そう考えたときに、

「きっと、優しさだけではいけない」

そう、ただただ感じるのです。

自戒も込めて。

何か感じていただけたら、幸いです。

なにがし。