最近私は、本当にこんなことを思います。
「やらなかったことは後から返ってくる」
因果というやつのせいなのか、難しいことはわかりません。
しかしながら。
サボったらサボっただけ後で苦しいし、
楽したら楽した分だけ、後で苦しい。
そんなことは往々にして言えるのかなぁと思うのです。
ただ。
物事の本質は簡単には見えないもので。
例えばどの程度返ってくるかはわかりませんし、サボった、楽をしたと言ってもその基準はあいまい。
結局のところ、自分がどう感じるかと言うところもあるのかなぁと思います。
私の知り合いで。
よく、昔の悪さ自慢をする人がいます。
「勉強なんてしなかった」
「ダチとつるんで悪いことばかりしていた」
「自分は強い」
「誰も歯向かわなかった」
「あの頃は良かった」
酔うとそんなことをよく言います。
しかし、だんだんと。
「それが今じゃ」
「みんな楽しそうで」
「優等生だったあいつは大手企業の役員で」
「自分はクソみたいな人生で、何にも面白くない」
と、トーンダウンしていくのです。
そりゃあ。
その人の人生を否定するわけではありません。
誰であろうと、ある程度は何かしらの不平不満の中を生きていることでしょう。
しかしまぁ、ぶっちゃけ。
妥当っちゃ妥当だと思うのです。
人は、生まれるとき誰もが平等なわけではありません。
病気を持って生まれる。
裕福な家庭に生まれる。
貧乏な家庭に生まれる。
田舎。
都会。
私も病気を持って生まれてきました。
しかし、これは上か下かの話ではないと私は思います。
生きる方向性がそれぞれ違うだけ。
求める幸せだって、人それぞれなのですから。
向かわざるを得ない方向、川の流れのようなものがそれぞれちょっと違っている。
そんな風に思うのです。
その中で、社会に出たときに求められる水準は。
「世間一般」という曖昧だけどどこかに存在する線の向こう側にあるんです。
だから、そこを目指さないといけない。
身の回りの、流れがどうであれ。
社会の在り方を考えた時に、そういうものが許されることもないとは言いませんが。
ほとんどの場合、言い訳なんて通用しません。
逆流だろうがなんだろうが、その線の向こう側を目指さなくてはいけないのです。
世間一般のラインを超えなくては、手に入るものは少なく。
苦労をしなくてはならないんです。
努力をしたから、それが全て報われるとは限りません。
しかし。
しなかった努力は、ちゃんと跳ね返ってくる。
そう考えておいて損はないのかなぁと思います。
ぶっちゃけてしまえば。
日頃から努力、努力と私は書いていますが。
本当は余裕のない生き方を推奨したくなんてありません。
疲れちゃいますしね。
でも。
「みんなやってるから」
その考え方が、人と人が織りなす世間一般。
集と個の矛盾と、悲しみと喜びをはらんで進む、時と人の世界のことわり。
なんて。
なにがし。