今日は、会話の話です。
ふと、会話に対して感じたところがあるので書きます。
よかったら読んでやってください。
以前、私は会話のキャッチボールの話を書きました。
会話は、キャッチボールと同じ。
相手が投げてきたボールに、思いを乗せて伝え返す。
大事なのはこれだけなんですよ、という話です。
そしてもう1つ、返報性の原理の話も書きました。
人には、返報性の原理というものがあります。
これは、「やったらやりかえされる」というもので。
誰しも当たり前に持っている特徴みたいなものですよ、という話です。
で。
で、です。
会話のキャッチボールを成り立たせるためには、お互いの間にキャッチボールをしようという意思がないと難しいです。
ここまでは単純です。当たり前ですよね。
そのために返報性の原理も含めて考えると、お互いが同じ目線であることも必要なはずです。
だから。
意思の疎通を図ろうとするならば、少なくとも相手の投げたボールをしっかり受け止めなくてはなりませんよね。
これができずして、会話のキャッチボール以前に、意思の疎通はうまくはいきません。
あくまでも対等な関係性においては、ですが。
「相手の言葉は聞きたくない。でも自分の話は聞いてほしい」
こんな気持ちは、ぶっちゃけ誰の心にも当たり前にあるものだと私は思います。
当たり前にあるからこそ、相手の話をまずちゃんと聞かないといけない。
そもそもみんな、相手の話なんて聞きたくない、自分の思いを汲み取ってほしいと思っているのだから。
その思いを逆なでするように自分のことばかり話したら相手は話なんてなおさら聞いてくれないんです。
改まって書く必要はないかもしれません。
でも。
普段は分かっていても。
イライラした時、嫌なことがあった時。
人はどうしても。
忘れてしまうのです。
なんで自分だけ。
好きなことばかり言いやがって。
そんな思考に陥ってしまいます。
もちろん。
それが「悪」だと言いたいわけではありません。
ただ。
もし忘れているなら、苦しんでいるなら。
こんな考え方もありましたよね?と伝えたいだけなんです。
それほどまでに。
人は、忘れてしまうのです。
の●太くんが目を3にして、頭の上にあるメガネを探すように。
忘れてしまうものなんです。
なんて。
なにがし。