最近、「子どもたちの悩み」に触れる機会がありました。
小学校5、6年生くらい。
それも複数人の。
そこで、私は自分の見識の狭さを思い知りました。
悩みの重さが、半端じゃなかったのです。
ぶっちゃけ。
小学校高学年と言えば、私は野山を駆け回っていました。
その頃の悩みと言ったらなんでしょうか。
かけっこが遅いとか。
スポーツ少年団でやっていた野球が上手くならないとか。
そんなものです。
それが、なんでしょうか。
11、12歳にして人生を諦めるみたいなレベルの、家庭の悩み。
もちろんこれは、時代背景だけにあらず。
単純にそういう「声」を発する場所ができたことによって可視化されたものなのでしょう。
私の子ども時代にも、そういう子らはたくさんいたはずです。
それを踏まえても、なんていうか。
胸がえぐられる思いでした。
こういう声を聞くのはものすごくつらいことだと実感しました。
個人のものである悩みを他人と比べることはあり得ませんが、
自立した大人と違って、子どもはどうしても保護者である親の影響を受けます。
良い悪いにかかわらず、親の庇護下から自力で飛び出すことが難しい、という性質があります。
だからその子どもたちの声はとても、重い。
私になにができるわけでもないし、こんなことを書いたからと言ってなにも変わるわけではないけれど。
「世の中」ってなんなんだろう。
そう、吐き出したくなった。
そんな次第です。
なにがし。