これは、「本当に書くか」迷ったのですが。
もう、書いちゃいます。
いまの世は、「ストレス戦国時代」だ!
というお話です。
苦しさ、悲しさの比較
これまでも、ポロポロと書いてはいますが。
私は、「苦しみや悲しみは自分だけのものでしかない」というスタンスです。
よく。
「誰々に比べて私なんかこうだったんだ」
「もっとすごいこんな思いをしたんだ!」
という言葉がありますよね。
これが私は、正直苦手です。
苦手というか「私はそう思わない」、というスタンスですね。
別に人がそう言うことも、思うことも否定しません。
思うんだから、発言する。 それだけなので、なにもそう言うことが悪いとは思っていません。
ただ、私自身のマイルールみたいなもので。
苦しみを比較したくない、と思っています。
ちょっと分かりづらいかもしれないので、例え話をひとつ書きましょう。
事故で自分の車に小さな傷をつけてしまった、Aさん。
事故で自分の車が大破(廃車になった)事故にあった、Bさん。
どちらの方がつらいでしょうか。
私の考えで言えば、これは第三者には分からない、ということです。
もしかしたら、
Aさんは、なけなしの貯金でずっと憧れていた車を買い、大切に乗っていたのかもしれません。
Bさんは、保険金目当てでわざと車を壊したかもしれません。
これは極端な例ですが、実際のところ。
どっちがどれだけつらいかなんて分からないし、比較はできないと私は思います。
もちろん、そう言いたくなる気持ちもわかるんですけどね。
ただ、私にとって。
誰かと悲しみや苦しみを比較することは、「基本的に、絶対にしたくないこと」なのです。
ストレス戦国時代
そして。
さっき2秒で思いついた「ストレス戦国時代」という言葉。
人の気持ちに触れることが、爆増した現代。
SNS、LINE、婚活アプリ。
人同士が言葉を交わすことのハードルは下がり続けています。
ましてや、知らない人も含めて。
だから、人の心を傷つける発言も簡単です。
昨今流行りのヤフコメも。
簡単に、実に簡単に。
他者の心を傷つけます。
自由だからこそ。
便利になったからこそ。
誰かにとってのストレスを振り撒くことも簡単です。
だから、私たちは早急に。
ネットに触れるなら、確実に。
受け止め方の学びも、深めていかなければなりません。
いい意味で、鈍感になることだって、必要だと思うのです。
その方法は、いつか語りたいと思います。
まずは。
そこだけでも、伝えたいなと。
なにがし。