最近、巷で「ジョーカー」なる人物が話題になります。
あまり社会派の記事は書きたくないのですが。
心理的な側面をメインにしてはいるので、
それとなく描いてみたいと思います。
まず私は、こういった事件の犯人に同情することはありません。
背景に何があろうと、です。
普通に暮らしている方が被害に遭われた以上、擁護はできません。
では、こういった「現状」をどう捉えるべきでしょうか。
私は、こういった事件の背景に「乖離」という大きな要因があると思っています。
もちろん、さまざまな原因はありますが。
乖離とは、かけ離れている、ということですね。(ギャップとも言います)
自分が思っていることと違った。
自分がこうだと思っていたのに、現実はそうなってくれない。
自分の思考や置かれた立場、行動と、「現実」とのギャップは大きなストレスとなります。
そのストレスが、人道から外れた「行為」につながる。
言ってしまえば、そのギャップを埋められなかった個人の問題です。
しかし、そう言った人は今も昔も一定数いるわけで。
個人の問題、として片付けているうちは、こう言った事件は無くならないということ。
になります。
かといって、じゃあどうすればいいの?となるので。 この問題は非常に難しいわけです。
だからせめて、私はこう考えます。
新型コロナや、あらゆる犯罪の対策と同じ。
「可能な限りの自己防衛と再発防止」しかありません。
教育機関、行政、現場の管理者、警察、立法機関、司法機関。
そして我々、一般市民。
それぞれがこの問題と向き合わなければいけないと思います。
命を含めた、自分の財産を守るために。
一人ひとりが意識して、変化、改善しなくてはなりません。
これはひどく個人的な意見ではありますが。
日本国民には諸外国と比べて、非常に丁寧な国民性があると思っています。
それは同時に、「大胆さに欠ける」とも取れる。
Twitterやブログを読んでいるとよくわかるのですが、
やっぱり有能な人は決断が早く、それでいて大胆。
課題の解決に対しての嗅覚が、異常なほど鋭いです。
ひとつでも、新たな悲しみが生まれる前に。
自分も含めて、この国は一人ひとりが変わっていかないといけない。
そんなことを、強く思います。