私は、「常識」という言葉が嫌いです。
その理由は、水戸黄門の印籠のように使われることが多いから。
そして、大多数がそうと言えるかと言ったらそれって本当に常識?と思うことも少なくないからです。
だからそんなものに振り回されたくない。
種のこだわりみたいなものだと思っています。
一般的な常識が必要な場面も、もちろんあることは理解してますけどね。
先日。
「親が子の面倒を見るのは常識だ」
そう、親御さんに言われた人が私に相談してきたのです。
これって常識なんですか?と。
これ、確かに法律で決まっています。
親及び兄弟姉妹には扶養義務というものがあるんです。
だから、たとえば自分の親兄弟が病気になったとして、他に頼る人がいない場合は。
どんなに嫌だろうとも面倒を見る必要性が出てくるのは、事実です。
(もちろん、色々と要件もあるのでそういう人はちゃんと調べてくださいね)
だから、その事実を知っている「親の立場」から見れば、
自分の面倒を子が見るのは常識、と言いたくなる気持ちもわからないでもありません。
しかし、私は、それを決めるのは「子」次第だと思っています。
薄情だろうが、
世論が何であろうが、
法律の許す範囲内であれば、選ぶのは自由です。
親だとか、子だとか。法律とか。
そういう枠組みは確かにあるけれど。
私は「人」それぞれの生き方が尊重されるべきだと思っています。
仮に法律を盾にいうことを聞かせたとしても、望むものは手に入らないんじゃないかな、と思います。
この件に関してのどっちがいいとか、悪いとか、そんなことを言いたいのではなく。
自分の人生を思うがままに生きることはとても大切なことだ、と言いたいのです。
親だって、一人の人生。だからうまく動けない老後は誰かに面倒をみてほしい。
子だって、一人の人生。自由なうちに自分のやりたいことをしたい。
その問題が真っ向から対立するために、この問題は、根が深い。
ただ。
比重を考えれば、私は、子が決めるべきことだと思っています。
親が親らしく、与えるべきものをきちんと与えていたならば。
子の選択は、親にとって嬉しいものとなるでしょう。
「そう」ならなかった時に、恨むべきは「子」ではありません。
親自身が子に、どう接したか、何を与え、どう育てたのか。
そこに答えは集約するのではないかな、と私は考えます。
だから。
日常の積み重ねほど、大切なものはない。
いざという時に、その結果は表れるのだから。
そんなことを思いました。
なんて。