病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

親の面倒を子が見るということを本気で考える。

f:id:tpippi:20220202185517p:plain 私は、「常識」という言葉が嫌いです。

その理由は、水戸黄門の印籠のように使われることが多いから。
そして、大多数がそうと言えるかと言ったらそれって本当に常識?と思うことも少なくないからです。

だからそんなものに振り回されたくない。
種のこだわりみたいなものだと思っています。

一般的な常識が必要な場面も、もちろんあることは理解してますけどね。

先日。

「親が子の面倒を見るのは常識だ」
そう、親御さんに言われた人が私に相談してきたのです。
これって常識なんですか?と。

これ、確かに法律で決まっています。
親及び兄弟姉妹には扶養義務というものがあるんです。 だから、たとえば自分の親兄弟が病気になったとして、他に頼る人がいない場合は。

どんなに嫌だろうとも面倒を見る必要性が出てくるのは、事実です。
(もちろん、色々と要件もあるのでそういう人はちゃんと調べてくださいね)

だから、その事実を知っている「親の立場」から見れば、
自分の面倒を子が見るのは常識、と言いたくなる気持ちもわからないでもありません。

しかし、私は、それを決めるのは「子」次第だと思っています。

薄情だろうが、
世論が何であろうが、

法律の許す範囲内であれば、選ぶのは自由です。

親だとか、子だとか。法律とか。
そういう枠組みは確かにあるけれど。

私は「人」それぞれの生き方が尊重されるべきだと思っています。

仮に法律を盾にいうことを聞かせたとしても、望むものは手に入らないんじゃないかな、と思います。
この件に関してのどっちがいいとか、悪いとか、そんなことを言いたいのではなく。

自分の人生を思うがままに生きることはとても大切なことだ、と言いたいのです。

親だって、一人の人生。だからうまく動けない老後は誰かに面倒をみてほしい。
子だって、一人の人生。自由なうちに自分のやりたいことをしたい。

その問題が真っ向から対立するために、この問題は、根が深い。

ただ。
比重を考えれば、私は、子が決めるべきことだと思っています。

親が親らしく、与えるべきものをきちんと与えていたならば。
子の選択は、親にとって嬉しいものとなるでしょう。

「そう」ならなかった時に、恨むべきは「子」ではありません。
親自身が子に、どう接したか、何を与え、どう育てたのか。

そこに答えは集約するのではないかな、と私は考えます。

だから。
日常の積み重ねほど、大切なものはない。
いざという時に、その結果は表れるのだから。

そんなことを思いました。

なんて。