愛の反対は憎しみではなく無関心であると、マザーテレサは言いました。
憎しみも、愛情も、他人に興味があるから成し得ること。
興味が全くない、無関心の状態こそがそれらの対極にある概念だと言いたいわけですね。
さて、では。
これにておしまい、となったらつまらないので。 ちょっと想いを巡らせてみたいと思います。
私はひねくれているので、愛情の対義語をGoogleで検索してみました。
これは単純にマザーテレサの言葉であって。
辞典にはきっと、ドライに憎悪などとでも書かれているのだろう、と。
結果。
ネットの辞書では愛情の対義語は憎悪と無関心、両方が記載されていました。
(辞典が手元にないので、公式かどうかはわかりませんが)
さらに調べてみると。
愛情の反対は無関心という言葉に対して、
「それは違う」
とお考えの方も多いようなのです。
これは対義語のルールとか、A=Bみたいな言葉で捉えるか、
それとは少し違う視点から見た言葉と捉えるかの違いかな、と私は感じました。
前者で捉える人は、人から向けられる「憎悪」に苦しんでいる人が多い印象です。
愛情も憎悪も一緒くたにしてほしくない。
そんな気持ちが溢れたネット記事やYahoo知恵袋の質問がポツポツとありました。
私としては、どちらが正解、というものではないと思います。
ただ、マザーテレサの主張の。
愛と憎悪という一見相反する概念に、全く別次元の無関心という概念を持ってくるという点に関しては、すんごいなぁと感じています。
X軸とY軸しかない世界に、Z軸という概念をもたらすのと同じような。
既存の価値観をぶっ壊すような強い想い。
そんな気持ちを感じます。
私は、マザーテレサという人物のことをサラッと本で読んだ程度しか知らないので、
彼女を悪戯に肯定も否定もできないけれど。
この言葉に関しては、別で。
良くも悪くも、ハッとさせられる言葉だなぁ、と思っています。
なんて。